彼女はアンフレンドリーを演じている
一方の美琴は、駅構内の飲食店が集まる方面へと進んでいたが、足元に力が入らず進みが悪かった。
具合が悪いほどではない。だけど心も体も、栄養が足りていないのは容易にわかる。
「(私の心の栄養って、なんなんだろ……)」
自分のことなのにさっぱりわからなくて笑えてしまった美琴が、呆れたため息を漏らした時。
階段に差し掛かったので、おもむろに手すりに優しく触れる。
ところが三段降ったところで突然、床が抜けたような感覚に陥った。
「え……」
一瞬、宙に浮いたのかとも思ったが、それは間違いで。
目眩のせいで方向感覚を失った美琴が、バランスを崩し階段を踏み外していたのだ。
ただ、手すりに置かれた手が優秀で、反射的に力を込めて握ってみたものの。
普段よりも衰えた握力では、自分の体重を支えることができなかった。
「(――っ落ちる……!)」
そうして手すりから離れていく自分の体を、支えてくれるものはもうなくなってしまい。
階段から落ちる未来を回避できないと覚悟を決めた美琴が、固く瞼を閉じた時。
――ガガガガガッ!
階段を滑り落ちていったのは、美琴の体ではなく見覚えのあるスーツケース。
幸いその瞬間に階段を昇り降りする通行人がおらず、誰かに衝突するという惨事はなかったものの。
至るところに擦り傷を作ったスーツケースが、痛々しく踊り場に横たわっていた。
「っ…………」
そして自分の上体を突然支えてきた男性の腕が、落下を阻止してくれたことを理解する美琴は、今更激しい動悸に襲われる。
加えて、その腕のスーツ色にも見覚えがあるから、背後の人物を目視確認しないまま名前を呟くことができた。
「……蒼太、くん……」
「ったく、何してんだよ……!」
言葉は咎めていても、焦りと不安が混じっていた声色は、やはり蒼太のもので。
先ほどまで無機質だった美琴の心が、一気に熱を帯びていくのがわかった。
「ごめ……ちょっと、ふらついて」
「はぁ、まじで焦った……」
追いかけてきてよかったと強く思った蒼太も、緊迫感による動悸が止まらない。
しかし、自身と美琴の体重を支えていたのが、手すりを握り締める左手のみだった蒼太は。
安堵した途端、強烈な痛みが手首に走った。