君とゆっくり恋をする。Ⅱ【第6話完結しました】(短編の連作です)
この傘の持ち主、片桐結乃が自分の部署である総務部へ戻って来ているのは分かっている。さきほど、昼食を終えて社員食堂を出て行く結乃を、敏生はその目で確認していた。敏生は自分のロッカーへ急行し、そこに大事に保管されていた傘を掴むと息せき切ってここまでやって来ていた。
早く行動を起こさないと、昼休みが終わってしまう。総務部の入り口まで行って、その辺の適当な人間に「片桐結乃さんを呼んでください」と短く言えば済むことだ。でも……、その一声を出そうとしただけで、心臓がバクバクと跳ね上がった。
「あれ、営業部の芹沢くんじゃない?」
背後からかけられた声に、敏生の心臓は追い打ちをかけられた。心の中の動揺を押し隠しつつ振り向くと、そこには見覚えのある男性がいた。
「これは、小田巻部長。こんにちは」
敏生は手にあった傘をとっさに背の後ろに隠しつつ、洗練された立ち居振る舞いでとりあえず丁寧に頭を下げた。
「君の剛腕ぶりは、うちの総務部でも噂になってるよ。なんでも岸川コーポレーションとの取り引きも、取り付けたそうじゃない」
この人物は、そう、結乃の上司でもある総務部の小田巻部長。その気さくな言葉に、敏生は恐縮して笑顔を苦くした。