この恋がきみをなぞるまで。
◇
夏休みが終わる前に、恵美さんのところに一度顔を出すことにした。
夏休みは午前中に小学生の教室があるらしく、その時間帯を避けて昼を過ぎた頃に家に向かう。
相変わらず立派な門構えを過ぎて、家屋のインターホンを押すと、中から恵美さんの声が聞こえた。
「はーい!⠀ごめん、ちょっと出てくれる?」
窓が開いているとはいえ、よく通る声だ。
空まで突き抜けそうな声に思わず笑ってしまったあとで、その呼びかけに返事をした声も微かに耳が拾う。
「はい。……は?」
「ち……しろ、さかくん」
玄関の引き戸を開けたのは、黒いTシャツにジーンズ姿の城坂くんで、わたしを見下ろしたまま呆けている。
わたしもわたしで、まさかの人物に固まっていると、バタバタと恵美さんが走ってきた。
「芭流ちゃん、いらっしゃい!⠀上がって上がって」
「え、ちょ……」
入口を塞いでいる城坂くんを押しのけて、恵美さんに手を引かれる。
とっさに前に出していたのが右手だったからよかった。
城坂くんのことは振り向かずに、以前も案内された部屋に通される。
今日も午前中は小学生が来ていたのだろう。
奥には半紙が並べられていた。
「ごめんね。頼まれてた物、前どこかに動かしちゃったみたいで、すぐ探すから」
「そんなに急いでないからまた別の日でもいいですよ」
「いやいや、たぶんね、もう場所はわかったのよ」
そう言い残して慌ただしく恵美さんが出て行ったあと、わたしは部屋にひとり残される。
墨の香料の匂いが残る場所で、火照った体に風を受けていると、襖が開く。
「城坂くん」
「おまえ、何しに来たんだよ」
城坂くんの持つお盆にはお茶のグラスがふたつあって、ひとつはわたしに差し出される。
お礼を言うつもりだったのに、遮るように城坂くんが口を開く方が早かった。
「恵美さんに用事があったから」
「いつだよ」
「なにが?」
「ここに顔出したの。高校入ったあとも来てなかっただろ」
城坂くんの物言いは、普段からは想像できないほど柔らかい。
やっぱり言葉はところどころ足りなくて、わたしもそれをすべて察することはできないけれど。
わたし達にとって、ここがとても神聖な場所であることも関係しているのかもしれない。
驚くほど、穏やかな空気が流れてる。