この恋がきみをなぞるまで。
それから1ヶ月が過ぎて、一度書道教室を訪ねた。
仏壇の前で、少し低い位置で手を合わせる。
しばらくそうしていると、廊下から話し声が聞こえた。
恵美さんと、城坂くんの声。
あれからまた、学校ではすれ違うこともほとんどない日々を過ごしている。
何となく今日は城坂くんもここに来るような気がしていた。
この部屋に来るだろうからと立ち上がり襖を開けようとしたところで、ふたりの会話が耳に入る。
「それじゃあ、千里くんはお家出ることになるんじゃない?」
「そうなります。だから、なかなかここに来ることもできなくなるから、これまで変な間隔で来てたけどもう、辞めるつもり」
「寂しくなるなあ。でも、卒業したら、ここに来てもいいもんね」
「恵美さんは、気が早いって。まだ受かってもないから」
進路、の話だとすぐに気付いた。
家を出ることになるという言葉だけが昇華しきれずに耳にこだまする。
「おじいちゃんが知ったら喜ぶだろうね」
「喜んでた。5月に、そうするって伝えたとき。俺、先生のあんな顔初めて見た気がする」
「自慢の生徒だから、そりゃあね。おじいちゃん、私たちに教えずに一人だけ知ってたってことなんだ」
「やっぱり、いちばんに先生に言いたかったから」
声がだんだんと近付いてきて、足音が襖の前で止まる。
咄嗟に離れて、仏壇の前に戻ると同時に開いた襖から恵美さんと城坂くんが入ってくる。
「あ、芭流ちゃんごめんね。早かった?」
「ううん。もう帰ります」
「そう?⠀よかったらお昼ご飯を食べていっても……」
「このあと、用事があるから。ありがとう、また今度」
城坂くんはたぶん、会話を聞かれたことをわかっていると思う。
改めてわたしに報告することはなくて、入れ違いに仏壇の前に座ると、わたしと恵美さんが離れる前に手を合わせていた。
玄関まで見送りに出てくれた恵美さんに呼び止められる。
言わんとすることがわかって、本当はすぐに立ち去りたかったけれど、深く息をしてから振り向く。
「芭流ちゃん、千里くんの進路、きいた?」
「さっき話してたことでしょう?⠀城坂くんからは聞いてないです」
「書道科にね、行くんだって。芭流ちゃん、お節介かもしれないけれど、千里くんとちゃんと話さなくていい?」
「もう何度も、話してます。だけど、いつもどこかですれ違ってる気がする。何を、どれだけ話しても、交わらない場所にいるように、思えて」
城坂くんの口から直接聞けたのなら、素直に応援することができただろうか。
既に心は、気持ちは遠い場所にいるからか、離れるという感覚が馴染まない。
城坂くんが決めたのなら、それでいいと思う。
別の道のどれかではなく、書道を選んでくれたことにほっとする自分もいる。