この恋がきみをなぞるまで。
◇
推薦で受けた大学の合格通知を受け取ったのは12月半ばで、そのあとも慌ただしい日々を過ごしていた。
日和さんの忙しい時期も重なって、昴流の迎えや家のことも手伝っていると、学年末考査も近付いてくる。
桐生くんと涼花、そして飛び入りで相原さんも参加しての勉強会があって何とか、あとは卒業を待つだけとなったころ。
「はい」
『もしもし?⠀ごめんね、急に。芭流ちゃん、今日このあと家に来られない?』
「今から……?」
恵美さんから電話がかかってきて、声は何故か楽しそうに弾んでいた。
『千里くん、今日で最後だったんだけど。さっきまで家に来ていてね。芭流ちゃんに、これ、見せたくて』
これ、が何を指すのかわからないけれど、一瞬だけ恵美さんの声が遠くなった。
最後、というのは、以前話していた書道教室を辞めるという話だろう。
ついにその日だったんだと思うと同時に、わたしに見せたいというほどの何かが気になる。
もしかしたら、って予感も少し、ある。
「城坂くんは、もういないんですか?」
『うん、少し前に帰ったところ』
「じゃあ、行きます」
会いたくない、わけではないけれど。
城坂くんの受験結果は、桐生くんに聞いて知っていた。
受験も、合否も、他人を介して知ったのに、おめでとう、と伝えるのもおかしな気がして、できれば今は顔を合わせたくなかった。
今を逃したら、もう次なんてない時期が来ていることにも、気付いているのに。
このまま、会うこともなければきっと、城坂くんのことも薄れていくと、ようやく自分の中で折り合いがつけられたところでもあった。
気持ちが揺らぐと、苦しいのは自分だと思い知っている。
午前中に電話をもらって、昼過ぎには書道教室を訪ねていた。
恵美さんはわたしに、ひとりで奥の部屋に行くように促す。
荒い呼吸を落ち着けて、襖を開ける。
文机の上には、一枚の半紙が置かれていて、その傍らには桐箱と、筆が添えられていた。
そこにだけ、光が降るような錯覚をする。
畳の上に手をついてその文字を目に映した瞬間に、ぼやけて、溶けた。
【芭流】と書かれた文字の上に涙が落ちる。
指の間をすり抜けて、いくつも水の玉が浮かぶ。
墨を吸った筆には芭の字が彫られていて、もう、城坂くんはすべてをここに置いていったのだと悟った。
あれほど大切にしていたものを、手放すわけがない。
心が、ここにある。
心を置いていったのだと気付いたときには涙は止めどなく溢れていて、想像すると胸が張り裂けそうなほどに痛い。
城坂くんがどんな気持ちで、この文字を書いたのか。
わからないわけがない、きっとそうだと思う。
わたし達だけに、伝えられる方法がこれだから。
お互いの名前を、いちばん大切だと決めた、幼いころのあの日から。
ずっと鞄に入れて持ち歩いていた手紙を取り出して、半紙の隣に並べる。
この手紙に書いてあるのは、城坂くんの本心で。
そこに触れることを、こわいと思う。
もしかしたら、ここで終わるのかもしれない。
そう城坂くんが望んでいることを、知るかもしれない。
自分の呼吸しか聞こえない空間で、手紙を開く。
整った文字は、芭流、から始まっていて。
折り合いなんてもの、やっぱりつけられていなかった。
納得なんて、したふりだけだった。
もう、自分の気持ちも誤魔化しようのないものだと気付いた。