あなたと私の恋の行方
***
佐野の部屋に戻ると、小谷は今見たばかりの出来事を柊一郎に話した。
運転手付きの高級車が迎えにきたこと。
従兄から渡された名刺には、有名弁護士事務所に勤務している国際弁護士の肩書を持つ大河内千也の名前。
いつも一緒に仕事をしている西下由香のイメージとはかけ離れていた。
「あいつ、大河内家となにか関係あるんでしょうかね」
「さあな」
ビールを飲みながら小谷の説明を聞いていた柊一郎は(面白いのを見つけた)と、独り言ちていた。
***
柊一郎を『独身』だと小谷は紹介していたが、正確に言えばバツイチだ。
まだ大学を卒業して間もない頃、柊一郎は電撃結婚した。
今思えば浮かれていたのかもしれない。
結婚相手のグレースは日仏の血を引くフランス帰りの美女で、ファッション関係の仕事についていた。
華やかで、話題も豊富で向上心もある。
そんな彼女となら結婚しても毎日が楽しいだろうと思っていた。
だが、そんな柊一郎に『結婚生活』という現実は無情だった。
彼女が『家事も好き』『子どもも欲しいわ』と言っていたのは、柊一郎と結婚するための口実でしかなかった。
彼女はお嬢様育ちだったから、すぐに実家の援助を頼んだらしく新婚の家に家政婦がやって来た。
甘い気分だけでは『生活する』ことはできないと、柊一郎は理解した。
彼女は結婚してからもしょっちゅうパリに出かけていたし、外泊も平気でする。
『仕事なの』といわれたら、柊一郎も反論できない。彼自身も忙しいからだ。
そんな暮らしが破綻するのはあっという間だった。
派手な結婚式から一年も経たないうちに、柊一郎はシングルに戻った。
『離婚』という高い授業料を払ったが、彼にとって人生を深く考えさせられる一年だった。
それからは女性の言葉には懐疑的だ。
少し付き合うと『結婚』の二文字をチラつかせてくるのには辟易したし、三十を過ぎると言葉と上部の美しさに惑わされないよう慎重になってくる。
だから西下由香が柊一郎のマンションに姿を見せても、彼は『部下』としてしか考えていなかった。
あくまでも新川早苗のパワハラをなんとかしたい一心で呼んだのだ。
社内での経緯を説明しているうちに気が付いた。
西下由香は人の話をじっと聞くし、会話の途中で無駄口を挟まない。
この子は『頭がいいな』と思った。
三十分も話していると、人間関係を築くのが苦手な小谷が打ち解けているのに驚いた。
わずか一年ほど仕事上の付き合いをしただけなのに、小谷の性格の難しさも優秀さもよく理解している。
それに丁寧な仕草や言葉使いから育ちのよさが感じられた。
(珍しいタイプだな)
古風なようで、仕事では割り切った考えもできる。
ただ自己肯定感が低いのか、新川のようなタイプに対して委縮している気もした。
そのうち話も終わって、小谷がキッチンでウロウロし始めた。
離婚してから住んでいるマンションに女性は出入りさせていないから、由香は初めてキッチンを使ったことになる。
ビールを飲みながら見ていると、料理したり冷蔵庫からビールを運んだりとよく動いていた。
それなのに、自分の近くにきても煩わしさがない。
ほかの女性と違って下心がないせいかとも思ったが、彼女自身の持ち味だと気付いた。
きっとどこにいても『自然体』でいられるのだろう。
(ああ、これが俺の求めていた空間だ)
かつて失敗した、張りぼての結婚生活では味わえなかったものだ。
自然に動き、よく食べてよくしゃべり、ほどほどに酒も飲む。
席をたったと思えば汚れた皿をさっと片付けたていたり、水汚れを拭きとってキッチンを綺麗にしている。
華やかな存在ではないが、空気のように確実に自分のそばにいる。
自分が欲しかったのは、この心地よさだった。
三十四の今になって、やっと自分が『結婚』に求めていたのがなんだったかわかった気がした。