あなたと私の恋の行方
奥のソファーに座っていた母親らしい女性がゆっくりと立ち上がった。
「母さん、困るよ」
学さんはその女性の腕を振り払うと、苦しそうな顔をしている。
わけがわからないが、私は佐野さんのお母様に訪問の挨拶をした。
「初めまして、西下由香と申します。よろしくお願いいたします」
女性の出現で気は動転していたけど、なんとか狼狽えずにしゃべることができてホッとする。
「いらっしゃい」
佐野さんのお母様は、優しそうだけど華奢な人で今にも消え入りそうな声だった。
でも、なんだが具合が悪そうだ。
いつも病身の母を見ているから、顔色から察することができた。
「あの、どこか……」
声をかけようと思ったら、Tシャツにパンツスタイルの女性がいきなり目の前に立った。
濃いアイメイクで年齢がよくわからないが、この家に馴染んでいるのか堂々としている。
「学、この人だれ?」
睨むように見つめらると、私の方が悪者みたいだ。
「西下由香さんだよ」
「なんで家に来てるの?」
返事に困ったのか、佐野さんは母親の方に顔を向けた。
「母さん、今日は西下さんをお呼びしてるって言っておいたよね」
佐野さんの声は今までに聞いたことがないくらい冷たい響きだった。
「今日は仕事がお休みだからって、さっき急に遊びに来たのよ」
「そうか。なら百合絵、今日は帰ってくれないか」
「ええ~? なんで私が帰らなくちゃいけないの~」
百合絵と呼ばれた人は、甘えるような声で嫌だと主張する。
お母様の顔色は真っ青だし、どんどん佐野さんの表情も険しくなる。
おまけに百合絵さんは、泣きそうなのか怒っているのかわからないくらい真っ赤だ。
「あの、今日は私が失礼します」
やはり私の方がこの場では悪者で、お邪魔としか思えない。
「いや、百合絵を帰すからゆっくりしていって」
「でも……」
「だから、この人なんなの!」
「僕がお見合いした人だよ!」
その言葉を聞くなり、百合絵さんは思いっきり佐野さんの頬を叩くとリビングを飛び出していった。
「百合絵!」
「佐野さん、追いかけて!」
私は思わず叫んでいた。
理由はわからないけど、彼女を追いかけなければいけないと本能的に感じたからだ。
「早く!」
「す、すまない」
慌てた様子で佐野さんもリビングから飛び出して行く。
この家を訪ねてからほんの数分のことだったけど、なんだかドッと疲れた。
リビングルームには、初対面だというのに佐野さんのお母様とふたりだけ残されてしまった。
「お茶でも淹れましょうね」
お母様が申し訳なさそうに声をかけてくださった。
「は、はい」
改めてお母様の方を向くと、やはり顔色が悪かった。
「あの、ご気分が悪いんじゃ」
「さっきから少し胸が痛くて……急に百合絵ちゃんが来たから動転してしまって……」
その言葉が途切れた。
「あ……」
突然、胸を押さえたまま倒れた。
「大丈夫ですか!」
「くるし……」
「救急車呼びますから、しっかりしてください!」
かなり苦しいのか、お母様の表情が歪んでいる。私は介抱しながら、あれこれ考えた。
(こんな時は落ち着いて!)
お母様の状態を伝えながら住所もよく知らない家に救急車を呼ぶのは大変だった。
座布団に横になってもらい、手を握るとか細い力で握り返してくれる。
「ごめんなさい」
「気にしないでください。すぐに救急車が来ますから」
戸締りしておこうにも、家の鍵がどこにあるかわからないから佐野部長に連絡する。
すぐに電話が繋がってホッとした。
「佐野部長! 大変なんです!」
『西下か? どうした?』
「お母様の具合が悪くて救急車を呼んだんです」
『ええっ⁉』
佐野部長に鍵や保険証のある場所を聞いても要領を得ない。
心当たりのある場所を聞いてから探すと、なんとか家の鍵だけは見つけることができた。
救急車が到着するまでの時間はとてつもなく長かった。