あなたと私の恋の行方


私は祖父に『横暴だ』と言い返すことができなかった。

両親が駆け落ちしたことだけでなく、一年ほどだけど私は大河内家にお世話になった恩があるからだ。

私が中学一年生の頃に、母が体調を崩して入退院を繰り返した時期があった。
それまで忙しい財務局にいた父は、母の看病のために時間通りに退庁できる部署に異動願いを出したくらいだ。
それくらい母は悪かったのだろう。
私には難しいからと詳しい病状を話してもらえず、母を失うのではと不安でたまらなかった。

落ち込んでいる私を見て、母が実家の大河内家に『娘をしばらく預かって欲しい』と頼みこんだ。
大河内家は祖父母や伯父夫婦、従兄姉たちまで一緒に住んでいる大家族だ。
父とふたりきりでいるより、大河内家で暮らした方が賑やかで私のためにいいと考えたのだろう。

祖父をはじめ大河内家の人たちは快く受け入れてくれた。
皆には可愛がってもらったから、その時のことを思うと反論なんてできるわけがない。
だから祖父の横暴な言葉にも逆らえず、ただ黙ってコクンと頷いた。

大学生活は楽しかったけど、就職先は祖父や伯父から『大河内ホールディングスのグループ企業』と厳命されてしまった。

私は『ただの社員』として扱われたかったから、祖父が社長で伯父が副社長という事実は社内では極秘だ。
姓も違うし顔立ちも似ていないから、入社四年経ってもバレてはいない。



***



(あの頃が懐かしいな)

大河原家で暮らした日々はいい思い出だ。
確か千也君は有名な進学校の高校生で、千紘ちゃんは私立の女子中学に通っている頃だった。

幼い頃はあまり交流がなかったのに、ふたりはとても優かった。
年下が珍しかったのか、ふたりのおもちゃ状態といってもいいくらい可愛がってくれた。

千也君は様々なジャンルの音楽のコンサートに連れて行ってくれたし、千紘ちゃんは流行のファッションやブランドを教えてくれた。どれも縁のない世界だったけど、刺激的でとても楽しい毎日だったのはよく覚えている。

(それに、真知子伯母さまが料理の達人だし)

母はまったく家事の出できない人で、新婚の頃はお昼から始めても父の帰宅までに夕食が作れなかったという逸話が残っているくらいだ。

その母と比べるのは申し訳ないが、真知子伯母さまは和洋中すべてのジャンルが作れたしお菓子だってばっちりだ。

母のために食事を作りたくて、ひたすら料理を教えてもらった。
そのおかげで食いしん坊になった気もするけど。


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