轍(わだち)〜その恋はお膳立てありき?
「ち、千紘さん。これは少し距離が近いのでは···?」

一通り満足するまで彼のイラストを眺めた清乃は、改めて自分が椅子を挟んだバックハグ状態であることに気づいた。

今振り向けば、間違いなく右側に千紘の美しい顔面がある。

「一緒にベッドを共にしたこともあるのに今更か」

「そんな言い方、語弊が···」

「そうだな。好きな女に手も出せないヘタレな俺が言えた文句ではない」

「好きな···女?」

思いもよらない単語に驚いた清乃が、思わず振り向いた拍子に、右側から千紘の唇が清乃の唇を掠めた。

それに合図にしたかのように、啄むように繰り返し重ねられるそれが驚くことに不快ではない。

清乃は、呆然としながらも、それを黙々と受け入れている自分に驚いていた。

「ッ···同意もなしにすまない。だが、俺はずっと、清乃にこうして触れられる機会を待っていた。昨日だって、全ては愚図な俺を見かねた社長が仕組んだ計画的犯行なんだ」

「ずっと···っていつから」

「俺が初めてイラストをネット上に投稿した日、キヨノンが真っ先にリアクションをくれた。顔も性別も知らない相手だったが、俺にとっては、初めての理解者が現れたようで嬉しかった」

それは今から10年前。

清乃が14歳、千紘は今27歳と言っていたから17歳の頃になるか?

清乃は初めて自分専用のパソコンを両親から誕生日に買ってもらい、ついでに貯めたお小遣いでペンタブを購入してデジタルイラスト作成に勤しみ始めた頃だった。

勉強がてら覗いた、某有名イラストコミュニケーションサービスの数ある作品の中で、初めに目に付いたのが千紘···狼犬《ウルハイ》のイラストだったのである。

今と比べると、当時はまだ拙い絵柄ではあったが、それを差し引いても余りある圧倒的な存在感を放つイラストだった。

清乃はすかさずコメント機能を使って、狼犬《ウルハイ》に賞賛の言葉を送った。

初めのうちは狼犬《ウルハイ》から直接リアクションを貰うことはなかったが、狼犬《ウルハイ》がイラストを出すたびに反応していたところ、途中からお友達申請を受け入れてもらえることになった。

清乃もイラストを投稿しており、狼犬《ウルハイ》からのリアクションは『いいね』や『頑張れ』などの単語しか返って来なくても、清乃はそれが励みとなり今の人生に繋がっている。

初めは一人だった狼犬《ウルハイ》のフォロワーが何万人を超えても二人の関係は変わらなかった。

狼犬《ウルハイ》は清乃の癒やしであり、絵の先生(勝手に真似て覚えているだけで教えてもらってはいない)でもあった。

“どこかで元気に絵を描いてくれたらいい”

清乃にとって、狼犬《ウルハイ》は性別や国籍を越えた、存在するだけで貴い特別な存在だったのだ。

だから、清乃が出かけたコミケで、狼犬《ウルハイ》の2次創作を扱うグループに滋子がいたことも、その後ろ側で売り子の手伝いをしていた千紘(勿論、牛乳瓶眼鏡姿)がいたことも、全ては偶然の出会いだと、今の今まで信じていた。

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