轍(わだち)〜その恋はお膳立てありき?
轍(わだち)とは、通った車が道に残した車輪の跡を示す。

泥道に残った轍は、後続車にとっては融通が利かない道筋を作ることもある。

転じて“轍を踏む”という言葉は、先例に倣う、先人の誤りと同じ誤りをすることを意味することとされてきた。

“映二と同じ轍を踏まない”と言い切った千紘の言葉は、父親への精神的な決別を意味していた。

その中には、母親であるアンナにも“逃げずに現実を見てほしい”“映二の言葉の呪いに負けないでほしい”という千紘の希望も込められていた。

「千紘。ごめんなさい···ごめんなさい」

震えているアンナを美代子が優しく抱きしめる。

「あなたの名前はアンナさんがつけたのよ。千の糸のように多くの人と繋がるスケールの大きな人になって欲しいって」

名は体を表す。

神絵師となった千紘は、その名の通り、絵を通してたくさんの人を繋ぐスケールの大きい人になったのだ。

「母さんは悪くない。母さんだって被害者だったんだから」

微笑む千紘もアンナに近づくことはできないでいる。

きっと多くの時間と歩み寄る行動の数々が、二人のわだかまりを少しずつ溶かしていくのだろう。

「美代子さんにアンナさん、そして滋子さん。あなた方は私の娘である清乃の大切な方々だ。私も今後、力になれることがあれば微力なりともご協力させていただきますよ。もちろん、渡瀬社長も千紘くんもな」

バチンとウィンクをして片手を挙げる文彰は、昭和のトレンディドラマの香りに満ち溢れているが、イケオジ、推せる。

清乃は『我が父親ながら素敵』と感動して文彰にハグをした。

「お父さん、パーティー嫌いだの権力嫌いだのって言って駄々こねながら、こんな時だけ頼ってごめんね?」

「子が親に頼らなくて誰に頼るんだ。ほんの少しでも、自立してしまった清乃の役に立てたなら私も嬉しいよ」

清乃と文彰の関係は、美代子や滋子、アンナ、千紘にとっては手が届きそうで届かない憧憬のようだといえよう。

しかし、ないものばかりを求めても仕方がない。

大切なのは、新しい関係をどうやって深めて、繋いでいけるかだ。

「千紘さんのお母様、私は島崎清乃と言います。先日縁あって千紘さんの彼女になりました。なので私もお母様と仲良くさせていただきたいのですが如何でしょう?日本の良いところ、特にオタク文化なのですが色々紹介させて下さい!」

なんのてらいもなく言い放った清乃の元気さに、泣いていたアンナの涙も思わず引っ込んでしまったようだ。

ワンテンポ遅れて、コクンと頷いたアンナは少し笑っているように見えた。

新たな関係は、千紘を中心に無限に広がっていくことだろう。

といったところで、アンナの精神面を思い遣って、本日のイベント?はここで終了となった。

しばらくはアンナの自立支援のために美代子のフォローが入るらしい。

それぞれに再会を約束し、散り散りになって別れていく。

大掛かりな偽の舞台は、こうして無事に幕をおろしたのである。

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