新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜
しかし、俺の心配をよそに、どんどん新入社員の配置先が決まっていき、残った一人を会計が引き受けることになった。その間、ひと言も発しなかったのだが、何故、この新入社員が残ってしまったのかを理解するのに、そう時間は掛からなかった。この新入社員は、短大卒の新入社員研修の大半を体調を崩し、診断書を提出して欠席していたのだった。経歴書の二枚目を捲ると簿記三級と記載されており、他の新入社員の経歴書をザッと見たが、経理に役立つ資格を持っている者は、あと大卒男子一人しか居なかった。残りものには福がある。まさしく、そのとおりだな。
「高橋君のところは、若手三人か。二年目の男子と新人のお荷物で大変なことになりそうだな」
お荷物?
「とんでもないです。人員を頂けるだけで、有り難いです。ありがとうございます。すみません。仕事がありますので、先に失礼してよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ」
「そうですか。では、失礼します」
経理部長に断ってから会議室を出て席に戻り、受け取ってきた新入社員の経歴書を机の引き出しに入っているファイルに綴じながら、そこに書かれた名前をもう一度見た。
矢島陽子 1990年12月5日生 20歳 東西女子短期大学卒 簿記三級
入社式を終え、辞令を持って人事の担当者に伴われて新入社員が経理の部屋に登場し、拍手で迎えられた後、新入社員の紹介と部長の話が終わって、一斉に解散してそれぞれの席に戻った。中断していた仕事を再開するため、キャビネットからファイルと取り出そうとして扉を開けた途端、後から声が聞こえた。
「あの……今日から経理の会計監査に配属になりました、矢島陽子です。よろしくお願いします」
「高橋です。よろしくお願いします」
小さいな……。目線をグッと下げて、やっと視線が合った。隣に立っている中原と30センチ弱の身長差がある。新入社員全員が前に立っていた時は、俺は後の方に居たのでよくはわからなかったが、それが間近で見た率直な感想だった。
「もう紹介があったかもしれないが、隣に居るのが同じ会計監査の中原です」
中原が解散した後、彼女を会計に案内してきたようだ。
「さっきはちゃんと挨拶できなかったので、改めて。中原純也です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「矢島さんの席は、中原の隣だから。わからないことがあったら、中原でも俺でも遠慮なく聞いて下さい。仕事の内容については中原から説明があると思いますが、今、ちょうど三月末に締めた決算の本締め期限が迫っていて、会計は一年で一番忙しい時期でもあるから、矢島さんにも即戦力として働いてもらいたいので、頑張って下さい」
「はい。よろしくお願いします」
「中原。それじゃ、よろしく頼む」
「はい。そうしたら、矢島さん。電卓は取り敢えず、これを使って……」
今日から全てが変わる。そう思いたいし、そう願う。古い体質を否定するつもりはないが、夢見心地で手を広げれば幾らでも収益が入って来る時代は終わった。その手を広げているうちに、次世代のためのアドバンテージを試みなければいけなかったところを、その収益以上の業務拡大を行った結果、今度は収拾がつかなくなった。計画性のなさと言ってしまえばそれまでのことだが、資産運用の難しさが浮き彫りになった形で、いかに楽をして儲けようとしてはいけないかがわかる。あの時、もう少し……などとは、もう言っても始まらない。傾き出しそうな翳りを見せた時点で、すぐに手を打てば軌道修正出来る手段は残されている。まだ大丈夫という過信は禁物で、傾いてからでは遅い。坂道を転げ落ちるように、連鎖的に悪化の一路を辿るだけだ。
「会計は、また随分と若手ばかりで羨ましいね。高橋君。やり甲斐があるだろうが、大丈夫なのか? 伝統ある我が社の会計が、三人で回るのかね?」
「高橋君のところは、若手三人か。二年目の男子と新人のお荷物で大変なことになりそうだな」
お荷物?
「とんでもないです。人員を頂けるだけで、有り難いです。ありがとうございます。すみません。仕事がありますので、先に失礼してよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ」
「そうですか。では、失礼します」
経理部長に断ってから会議室を出て席に戻り、受け取ってきた新入社員の経歴書を机の引き出しに入っているファイルに綴じながら、そこに書かれた名前をもう一度見た。
矢島陽子 1990年12月5日生 20歳 東西女子短期大学卒 簿記三級
入社式を終え、辞令を持って人事の担当者に伴われて新入社員が経理の部屋に登場し、拍手で迎えられた後、新入社員の紹介と部長の話が終わって、一斉に解散してそれぞれの席に戻った。中断していた仕事を再開するため、キャビネットからファイルと取り出そうとして扉を開けた途端、後から声が聞こえた。
「あの……今日から経理の会計監査に配属になりました、矢島陽子です。よろしくお願いします」
「高橋です。よろしくお願いします」
小さいな……。目線をグッと下げて、やっと視線が合った。隣に立っている中原と30センチ弱の身長差がある。新入社員全員が前に立っていた時は、俺は後の方に居たのでよくはわからなかったが、それが間近で見た率直な感想だった。
「もう紹介があったかもしれないが、隣に居るのが同じ会計監査の中原です」
中原が解散した後、彼女を会計に案内してきたようだ。
「さっきはちゃんと挨拶できなかったので、改めて。中原純也です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「矢島さんの席は、中原の隣だから。わからないことがあったら、中原でも俺でも遠慮なく聞いて下さい。仕事の内容については中原から説明があると思いますが、今、ちょうど三月末に締めた決算の本締め期限が迫っていて、会計は一年で一番忙しい時期でもあるから、矢島さんにも即戦力として働いてもらいたいので、頑張って下さい」
「はい。よろしくお願いします」
「中原。それじゃ、よろしく頼む」
「はい。そうしたら、矢島さん。電卓は取り敢えず、これを使って……」
今日から全てが変わる。そう思いたいし、そう願う。古い体質を否定するつもりはないが、夢見心地で手を広げれば幾らでも収益が入って来る時代は終わった。その手を広げているうちに、次世代のためのアドバンテージを試みなければいけなかったところを、その収益以上の業務拡大を行った結果、今度は収拾がつかなくなった。計画性のなさと言ってしまえばそれまでのことだが、資産運用の難しさが浮き彫りになった形で、いかに楽をして儲けようとしてはいけないかがわかる。あの時、もう少し……などとは、もう言っても始まらない。傾き出しそうな翳りを見せた時点で、すぐに手を打てば軌道修正出来る手段は残されている。まだ大丈夫という過信は禁物で、傾いてからでは遅い。坂道を転げ落ちるように、連鎖的に悪化の一路を辿るだけだ。
「会計は、また随分と若手ばかりで羨ましいね。高橋君。やり甲斐があるだろうが、大丈夫なのか? 伝統ある我が社の会計が、三人で回るのかね?」