新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜

携帯電話の画面を開くと、電車を待っている間にアドレス帳に登録したばかりの矢島陽子という表示が着信と共に示されていた。
「高橋です」
「も、もしもし。矢島ですが、おはようございます。あの……」
言葉が続かないのか、電話越しの彼女の表情は見えないが、何となく窺い知れる。
「矢島さん。インターホン鳴らすよ」
「えっ?」
ピンポーンと、インターホンの音が目の前のオートロックシステムと、電話越しにステレオ状態で聞こえている。
「今、鳴らしているのは俺だから」
「えっ?えっ?あの、ちょ、ちょっと待って下さい。インターホン鳴らしているが高橋さんって、どういうこと? あっ、あの、高橋さん。何処に居るんですか?まさか、本当に下に居る……んです……か?」
何故か、彼女の動揺ぶりに、心の中で微笑ましく思えている。その昔、もう忘れてしまっているほど過去のことのような……。学生時代に何の悩みも迷いもなかった頃、こんな些細なことで友達を驚かせて喜んでいた時代が急に蘇ってきたようだ。
「矢島さん。悪いんだが、ここで会話しているのは他の人に迷惑だから、取り敢えず開けて貰えないかな?」
「は、はい。すみません。今……」
ロビーのドアの施錠を解除してくれた彼女だったが、インターホンの受話器を落としたのか、ガチャ、ガチャッと雑音がロビーに入った俺の背後から聞こえている。相当、動揺させてしまったかもしれない。そんなことを思いながらエレベーターに乗ろうとしたが、ちょうど引っ越しの最中だったようで家具を乗せているのが見え、そのまま階段で三階まで上がると、彼女が玄関のドアの前で顔を強ばらせながら立っているのが見えた。
「おはよう、矢島さん」
「お、おはようございます。あの、す、すみません。会社、お休みしてしまって……」
すみません? 一応、悪いという気持ちはあるのか。ならば、まだ大丈夫だな。
「すみません、という気持ちがあるということは、会社に対して迷惑を掛けているということはわかっているんだね」
「……」
「矢島さん」
「ごめんなさい。私……本当に、ごめんなさい」
何をそんなにこの子は怯えている?何に対して?
「怒っているんじゃない。矢島さん。教えてくれないか? 何故、会社に来たくなかったのか? どうしてそう思ったのか、それを教えてくれないか?」
「……」
俯いたまま、彼女は何も答えようとはしない。頑なに理由を言わない。否、言えないのか?
「矢島さん。悪いが、その理由を聞かせて貰えない限り、俺は会社には戻れない」
すると、彼女はゆっくりと顔を上げて俺を見た。
「どうかしましたか?」
ちょうどその時、隣の部屋の男性が出勤するのか部屋から出てくると、会話が聞こえていたのか、心配そうに彼女に話し掛け、俺に怪訝そうな表情をして見せた。
「あっ、いえ、何でもありません。高橋さん。中に入って下さい」
隣の男性に焦って説明をした彼女は、そのまま俺の腕を引っ張ると、ドアを開けて部屋の中に俺を押し込んだ。
「すみません。ここのマンション、いろいろうるさくて……。良かったらあがって下さい」
「いや、ここでいい」
「そうですか……」
ギュッと唇を噛みしめた彼女は大きく深呼吸をすると、意を決したように俺を見ると口を開いた。
「私……。何をやっても上手く出来なくて、それで人との付き合い方も上手く出来ないというか、私が居ると周りの人をイライラさせてしまうんです。自分ではそういうつもりはないのですが、でもその自覚のなさが致命的だと言われて……。社会人になったらそういうことのないように、自分でも頑張ろうと思ったんですけど、でも……」
「また、同じようなことを言われてしまった?」
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