新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜
すると、彼女は黙って頷きながら、目にはいっぱい涙を浮かべていた。
先ほどの懐かしい記憶。人の記憶というのは良いことも悪いことも憶えているものだが、さっき思い出したことは逆に、幼さ故にやってしまう、言えてしまったこと。自らもその経験を味わったりして、他人を思いやる気持ちを持つまでにまだ成長出来ていなかった頃の苦い記憶。彼女の言葉から、そんなことも思い出された。
「だから社会人として、続けられる自信がない?」
「はい……」
ピュアな部分が多いのだろう。恐らく、良い意味で不器用なのかもしれない。計算高くなく、狡く立ち振る舞えない性分。
「誰も、自信のある人間などいないと思う。ただ、自分自身を大切にしているかどうかという点で、自分を大事に思っている人は、少なからず自分の行動や言動に責任を持っているかもしれないが」
「高橋さんみたいに……ですか?」
ハッ?
「俺?」
「高橋さんのように何でも出来る人にはそうかもしれませんが、私はそうじゃないんです」
「誰しも他人の事を羨む気持ちはある。しかし、だからといってその人物が最初から人から羨まれるような人間だったかどうかは、窺い知ることは出来ないだろう?」
「……」
「人は、一人では生きては行かれない。人という字は支え合って出来ているなどと、よく言われているが、俺はそれ以前に人間という言葉の方が重要だと思っている。支え合って出来ている人という字。その後に続く文字は、間という字だ。人が支え合うためには、その間に入らなければならない何かがあるということ。それがその人への思いやりであったり、戒めであったり、それは助言というもので表されたり、叱咤激励ということだったり。人が支え合うということは、片側の人だけが支えているだけでは成り立たない。少なからず均等に力が加わってこそ、お互いが支え合えるというもの。そのためには、時に諭すことも戒めることもある。言い合うこともあるし、笑い合える時もある。しかし、いつもいつもお互いが楽しいことばかりではない。時に憎まれることもある。何故なら、人間という生き物は感情というものを持っているから。羨む気持ちが生まれるのも感情があるからで、憎んだり蔑んだりすることも感情がある故のこと。人の性格というものは千差万別で、人を羨む気持ちが歪曲して蔑むことで自我を確率させているという厄介な人物も存在する。だが、そんな人間ばかりではない。困っている自分に、手を差し伸べてくれる人間も多数居るということを忘れてはいけないんだ。困っている自分に手を差し伸べてくれる人は、間違った方向に進もうとしている時も、引き戻してくれるはずだ。自分にとって大切で大事な存在の人間は、全力で支えてくれる。だからこそ、自分もその相手に同じように接することで人間関係は成り立っているんだ。身近な存在で、全力で自分を支えてくれる人達。それは親であったり、兄弟であったりもするが、友人であったり、会社の同僚であったりもする。親、兄弟以外で、矢島さんには全力で支えたい人は居るか?」