新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜
エッ……。
貴博さんの方へと足早に向かう直前、ミサさんが私にまるで言い切るように言って行った。
貴博は、誰にも渡さないって……。でもミサさんは結婚しているのに、何故そんな事を言うの?それとも撮影の間に、貴博さんと愛が復活したの? あんな短い時間で? 有り得ない……。でもさっきのスタッフの会話が思い出され、疑心暗鬼になっている。貴博さんは、本当にミサさんの元に戻ってしまうの? でもそれは、倫理的に許されないことなんじゃ……。
「貴博。このあと時間空いてる?良かったら、食事でもどうかしら?」
ミサさん。
「はい。ありがとうございます」
嘘……。貴博さん、嘘でしょう?何故?どうして?何のためにミサさんと……。
「嬉しいわ。久しぶりに貴博と話が出来るなんて、今からテンション上がるわねぇ。そしたら一緒に車で行きましょう」
「すみません。私も車で来てますので……」
「そんな事は気にしないで。駐車場代ぐらい私が持つから、貴博の車はこのままここに置いて行けばいいでしょ?」
ミサさん……。あなたは、いったい貴博さんに何を望んでいるの?貴博さんも、淡々と応えていて……。でもその瞳に今、私は映っていない。真っ直ぐにミサさんを見つめているから。
「そうですか。ではちょっと友人と話がございますので、話が済み次第どちらに伺えば……」
「そしたら、パーキングのロビーで待ってるわ」
「はい。なるべく早く伺います」
するとミサさんは足取りも軽く、まるでステップでも踏むような軽やかでしなやかな後ろ姿を見せながら、エレベーターへと向かって行った。その後ろ姿を見届けながら姿が見えなくなったと同時に、貴博さんは仁さんに対峙していた。何を話しているのだろう。貴博さんは私に背中を向けているので、所々しか私の位置からでは聞こえない。
「貴博。お前……いくら業界では先輩だからといって、断ってもいいんだぞ。必ずしも先輩の言うことに従わなくてもいいさ。もうすぐこの業界ともおさらばなんだし、飛ぶ鳥後の濁さず。何も従順にならなくても……」
「仁。俺なら大丈夫だ。それだけじゃないんだ。遅かれ早かれ、こんな日が必ず来ると思っていた」
「貴博」
「仁。この先、生きていく上でもミサに会う事は、俺には避けて通れない道だ」
「……」
「生業は草の種ほどあるのに、俺が選んだものは……乾坤一擲。すべてミサが絡んでいた。仁。ミサと話して、俺自身のけじめをつけてくる」
エッ……。
今、ちらっと聞こえた。ミサが絡んでいたって何? ミサさんが、撮影で貴博さんに絡んだの?貴博さん……。どうして? 何故、ミサさんと食事に行くんだろう。やはりお互い惹かれるものがあって、会わなければいけない必然性を感じるのだろうか。貴博さんは、そのために今日の仕事を引き受けたの?やっぱりさっきスタッフの人が言っていたように、ミサさんに会うために……。
「わかった。何だったら一緒に行こうかと思ったが、それじゃ俺はこのまま帰るな」
「悪いな。それじゃ」
仁さんに手を挙げた貴博さんは、エレベーターの方へと向かおうとして私の前を通り過ぎようとした瞬間、立ち止まって私を見た。
「お疲れ様。今日、何時になるかわからないけど連絡する」
「えっ?ま、待って下さい。貴博さん」
歩き始めていた貴博さんを呼び止めると、振り返って私にも手を挙げた。
「ゴメン。時間がないから、話はその時に。連絡するから」
「貴博さん……」
貴博さんはその言葉を私に投げかけるように言い終えると、走ってエレベーターのボタンを押したが、4基あるエレベーターの停止している階数を素早く確認すると、パッとエレベーターの隣にある階段を使って下りていってしまった。
貴博さん。貴博さんは、そんなにまでしてミサさんにすぐにでも会いたいのかな。貴博さんに押されたエレベーターのボタンの光をジッと見つめていると、押した主がいないのにエレベーターの扉が開き、ちょうど帰ろうとしていた他のモデル達が、運良くちょうど来たとばかりに一斉にそのエレベーターに乗って扉を閉めていた。
「まだ帰らないの?」
エッ……。
背中越しに声を掛けられて我に返ると、そこには仁さんが立っていた。
「泉ちゃん。心身共に、神経も疲弊している感じだね」
「えっ?」
「身体の絞り過ぎ? 少し疲れてるみたいだけど。それともその根底にあるものは、貴博……かな?」