新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜
貴博さんが言い終えないうちに助手席のシートに座り、即座にシートベルトを引っ張っていた。そんな私を見た貴博さんは何も言わずに運転席に座ると、シートベルトを締めてバックミラーを一度見てから右後方を窓越しに確認して車を発進させていた。途中、何度か貴博さんがバックミラーを見ていたが、運転する上では普通の事なので特に気にはならなかった。食事に行った場所は、ごく普通のパスタ屋さんだったが、貴博さんと初めて二人だけで食事をするというだけですでに舞い上がってしまっていて味わうも何もなく緊張の連続で、食べ方が汚いと言われないよう女の子として細心の注意を払っていたため、食事中、何を話していたのさえよく覚えていなかった。こんなに疲れた食事も、初めてかもしれない。でもその疲れは心地よいもので決して苦痛に感じられるものではないから、お店を出ても楽しかったとしか思えなかった。
「少し、歩こうか」
「はい」
車を停めていた駐車場はお店の駐車場ではなく別の場所だったので、そのまま貴博さんと並んで歩き始め、何処をどう歩いているのかもわからなかったが、よくテレビで見たことがあり、仕事でも何度か来たことのある並木道を歩いていた。早朝や昼間、ここで撮影をした事は何度もあったが、まさかこの並木道を貴博さんと並んで歩く日が来るとは夢にも思っていなかった。
「だいぶ、銀杏も色づいてきたな」
エッ……。
「ここの銀杏並木って遠近法を使ってるって知ってた?」
「遠近法……ですか?」
「うん。この樹齢100年の146本の銀杏の木は、こっちから絵画館の方に向かって少しずつ並木の高さが低くなっていて、奥行きを深く見せ、絵画館の前の空間を大きく表現出来るように遠近法が施されているんだ」
「そうなんですか? 全然、知らなかったです」
「だからだろうな。この綺麗な銀杏並木を毎年見られるのは、手入れをしてくれているそうした見えない人達のお陰で維持できているからこそなんだ」
知らなかった。何気なく綺麗だなとしか思わず、その裏にある私の知らないところで行われているだろうお手入れや剪定などの作業のこと考えたことなかった。
「何事もそうだと思う。到底出来そうにない事を軽々と出来てしまう人というのは、やはり見えないところで努力を重ねているはずで、それも並大抵の努力ではないかもしれない。野球選手にしても、オフシーズンの鍛錬次第で来シーズンの成績に響く可能性は多いはずで、その見えない成果をいかに発揮するかは、自分の気持ちの持ちようだけだと思う。すぐに成果が現れなくとも、やらないより、やることに越したことはないのだから」