月下の逢瀬
「ごめん。もう一本」


あたしの言葉を無視して、先生はゆっくりとタバコを取り出し、火を点けた。
細長く、煙を吐く。


「せんせ……」


「バレたら困るよな。理玖の彼女は、久世だろう?」


「言わないで。理玖が困る」


「理玖が、ね」


暗くなった外を見ながら、ハンドルを指先でトントンと叩く。


「ふ、む。うん、誰にも言わないよ」


トン、トントン。


「ホント、ですか?」


「ああ。椎名が俺から逃げなければ、ね」


トン。
先生はあたしに視線を戻して言った。


「あたしが、逃げなければ?」


「泣かせちゃったけど、俺は椎名に嫌われたくない。避けられたくないし。
だから、椎名が俺の近くにいるのなら、黙っておく」


どう? と聞く目は、真剣。
あたしは無意識に、息を止めていた。


「近くって……どんな意味?」


息をゆっくりと吐きながら聞く。声は枯れていた。


「俺と寝る?」


心臓が潰されたように、ぎゅうと痛んだ。


< 56 / 372 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop