記憶がありませんが、身体が覚えているのでなんとかなりそうです
1.浮上する意識
トロリとした濃度の高い漆黒の液体の中に沈んでいて、ちっとも身動きが取れないな、という意識は薄っすらとあった。藻掻く力すらなくて、ただ身を任せるしかできなかったけれど。
自分の名前はおろか、何者なのか性別さえも分からない。だからもちろんどうしてこんな状況になっているのかなんて理解できようもなかった。けれど身体は何かによって守られているのは分かった。
それから時間がどれだけ経ったのだろう。いつしか鼓動を感じるようになった。流れる血脈を覚えると、やがて四肢があることに気付いた。
そこからは早かった。手の指を動かし、続いて足の先。それから腕、脚、上半身に下半身。実際はほんの微かも動かせていなかったのかもしれない。でも確実に覚醒に向かっていた。そこまできて漸くプルプルとした液体が身体を包んでいるのだと分かった。ゼリーのような弾力があってスライムみたいな、それ。
スライムといえば、喧嘩してあいつの部屋でばら撒いてやったんだった。っていうかあいつって誰? いやいや、あいつって言えば一人しかいない。エリック・ホルストだ。
伯爵家の次男でいけ好かない男。彼の家族は皆、穏やかで優しい人たちなのに、エリックだけはやたらと煩く突っかかってくるしいつも口喧嘩ばかりだった。
それに彼とは物心ついたころからライバルだった。
エリックが火の魔法が使えるようになったら、対抗して水の魔法で消してやった。すると今度は風の魔法で蒸発させてくるから、再び火で応戦する。そう、エリックは学校の魔術科で、私も同じ魔術科を専攻していた。
――そうだ! 私はラリアだ。ラリア・カーライル。父が三男のため、カーライル伯爵家の気ままな分家の長女に生まれた。現在、王宮学園の魔術科二年生で十六歳。うんうん、思い出した。
でもどうしてこの状況なのかは思い出せない。もしかしたら魔法が失敗したのか……? それか魔力の使い過ぎ? いや、自分の実力はよく分かっている。魔術師にとって魔力は生命の源も同じだ。使い過ぎるなんてことは死も同然。余程の状況でない限り酷使することはない。それは幼い頃から魔力がある者はみな口を酸っぱくして言われていることである。
だったら魔法の失敗かな……。実験が大好きだし、エリックを驚かせたくて常に色々と試してはいたけれど。
「全くお前は……」
と、彼に呆れられるのも日常茶飯事で。失敗や暴発した魔法の後始末を、文句を言いながらもいつも手伝ってくれる、本当は面倒見が良くてなかなかいい奴なのだ。だから喧嘩しながらも、私だってエリックのフォローもするし、相談にだって乗る。まぁ、相談は私がすることが多いけれど。親友であり、きょうだいであり、仲間。かけがえのない存在だ。
私が誰かを思い出したなら、早く目覚めたくて仕方がなくなった。手や足に魔力を込めて起き上がろうとしても、周りを覆うスライムみたいな何かが吸収してしまう。医療用に使われているスライムは大きくても両掌ぐらいだ。こんなに大きなものは私の知る限り存在していない。だからそれっぽくはあるが、違う何かの可能性もある。それに……。
(エリックの魔力の匂いがする……)
徐々に取り戻しつつある感覚は、スライム(他に予想もつかないのでそういうことにする)がエリックの魔力を纏っていると告げた。医療スライムは魔法で温めたり冷やしたり、怪我の修復に使ったりと術者が流す魔力で様々な用途がある。知り合いならば誰が魔力を流したか分かるのだ。
やっぱりエリック絡みで何かがあったらしい。十中八九、私が迷惑をかけたとしか考えられないけれど。
(あーあ。エリック、怒ってるんだろうなぁ)
眼鏡のブリッジを中指でクイッと持ち上げるのはお説教の合図。思わず逃げたくなるが、さすがに今回ばかりは素直に謝るべきだろう。とりあえずこのやけに大きなスライムがなくなって、目覚めたら開口一番謝ろう。
エリックとはクラスも一緒だし、休日も一緒に過ごしたりしているから家族より長い時間一緒にはいるけれど。それでもいつもよりさらに近くにいる気がした。
と、いうのもこのエリックの魔力を纏ったスライム、略してエリスラのせいだ。彼がずっと側にいる気がして落ち着かない。見張られているみたいだもの。
「ちょっと目を離した隙に……」
そう言ってため息を吐くエリックが脳裏を過る。
どうせ私はおっちょこちょいだからね。信用がないのは分かってるってば。ぐちぐちと文句を言われるなら、さっさと謝ってしまうに限る。何もすることができないから、謝る練習でもしておこう。
めげずにエリスラを破る作業も忘れない。なんてったって魔力には自信がある。入学試験もトップクラスだったし、その後の学園生活でもとても優秀なのだ。エリックは常に首位で、一度も勝てたことがないけれど……。
私がほんの少しの才能と数え切れないほどの努力で実力をつけてきたのに対し、悔しいことにエリックは天才肌だ。その上、努力までしちゃうものだから、彼に勝てないことくらい分かりきっている。もういっそエリックがここまで立派になったのは、幼馴染の私と切磋琢磨してきたからだと胸張って言えるくらいである。
確かに小さな頃は、何でもできるエリックに劣等感とかやっかみを覚えたものだけど。それも彼の努力を知ってからは思わなくなったし、寧ろそんなエリックを馬鹿にする奴らに対して片っ端からやり返してやった。
「そんな奴ら相手にすることない。放っておけ」
でも、悔しいから! そうちょっと涙目になってしまった私に、
「ありがとう」
と、少し笑って言われてしまえば、単純な私はエリックを護ってあげると心に決めた。
(あーあ、それなのにガッツリ護られてるなぁ)
そう、エリスラは私を護っている。どうやら傷ついた身体を補修してくれているようなのだ。この時点でエリック本人は無事なのだろうと分かる。魔法は術者が正常な状態でないと維持はできないからだ。
やっぱり実験失敗説が濃厚かも。それか同級生のそれに巻き込まれたか。
うん、文句を言われる前に目覚めたらすぐに謝ろう。そうと決まれば、エリスラを解除する方向に力を注ぐことにする。なんだかエリックに抱きしめられているみたいで落ち着かないし。そういう仲じゃないから!
確かに良い奴だし、見た目もいい。背も高いし、足も長い。それから私よりも魔法の才能がある。本人には絶対に言わないけれどエリックはいい男だと認めている。愛想は全くないけれど。
それでも昔は私より背が低かったし、泣き虫だった。大人しかったエリックはお茶会などで男の子たちの標的になりがちで、いじめられてはメソメソと私の後ろをいつもくっ付いてきて可愛かったな。
いつの間にかぐんぐん背が伸びたエリックに、あっという間に追いぬかれて。今となってはちょうど目線がエリックの口元だ。まだ彼は大きくなるのだろうか? とっくに身長が止まってしまった私としては羨ましい限りである。
(っていうかさ、エリックのことばかり考えすぎじゃない?)
この全身を優しく包む魔力が脳内からエリックを離れさせてくれない。
――なんだか段々と悔しくなってきた。絶対破ってやる!
自分の名前はおろか、何者なのか性別さえも分からない。だからもちろんどうしてこんな状況になっているのかなんて理解できようもなかった。けれど身体は何かによって守られているのは分かった。
それから時間がどれだけ経ったのだろう。いつしか鼓動を感じるようになった。流れる血脈を覚えると、やがて四肢があることに気付いた。
そこからは早かった。手の指を動かし、続いて足の先。それから腕、脚、上半身に下半身。実際はほんの微かも動かせていなかったのかもしれない。でも確実に覚醒に向かっていた。そこまできて漸くプルプルとした液体が身体を包んでいるのだと分かった。ゼリーのような弾力があってスライムみたいな、それ。
スライムといえば、喧嘩してあいつの部屋でばら撒いてやったんだった。っていうかあいつって誰? いやいや、あいつって言えば一人しかいない。エリック・ホルストだ。
伯爵家の次男でいけ好かない男。彼の家族は皆、穏やかで優しい人たちなのに、エリックだけはやたらと煩く突っかかってくるしいつも口喧嘩ばかりだった。
それに彼とは物心ついたころからライバルだった。
エリックが火の魔法が使えるようになったら、対抗して水の魔法で消してやった。すると今度は風の魔法で蒸発させてくるから、再び火で応戦する。そう、エリックは学校の魔術科で、私も同じ魔術科を専攻していた。
――そうだ! 私はラリアだ。ラリア・カーライル。父が三男のため、カーライル伯爵家の気ままな分家の長女に生まれた。現在、王宮学園の魔術科二年生で十六歳。うんうん、思い出した。
でもどうしてこの状況なのかは思い出せない。もしかしたら魔法が失敗したのか……? それか魔力の使い過ぎ? いや、自分の実力はよく分かっている。魔術師にとって魔力は生命の源も同じだ。使い過ぎるなんてことは死も同然。余程の状況でない限り酷使することはない。それは幼い頃から魔力がある者はみな口を酸っぱくして言われていることである。
だったら魔法の失敗かな……。実験が大好きだし、エリックを驚かせたくて常に色々と試してはいたけれど。
「全くお前は……」
と、彼に呆れられるのも日常茶飯事で。失敗や暴発した魔法の後始末を、文句を言いながらもいつも手伝ってくれる、本当は面倒見が良くてなかなかいい奴なのだ。だから喧嘩しながらも、私だってエリックのフォローもするし、相談にだって乗る。まぁ、相談は私がすることが多いけれど。親友であり、きょうだいであり、仲間。かけがえのない存在だ。
私が誰かを思い出したなら、早く目覚めたくて仕方がなくなった。手や足に魔力を込めて起き上がろうとしても、周りを覆うスライムみたいな何かが吸収してしまう。医療用に使われているスライムは大きくても両掌ぐらいだ。こんなに大きなものは私の知る限り存在していない。だからそれっぽくはあるが、違う何かの可能性もある。それに……。
(エリックの魔力の匂いがする……)
徐々に取り戻しつつある感覚は、スライム(他に予想もつかないのでそういうことにする)がエリックの魔力を纏っていると告げた。医療スライムは魔法で温めたり冷やしたり、怪我の修復に使ったりと術者が流す魔力で様々な用途がある。知り合いならば誰が魔力を流したか分かるのだ。
やっぱりエリック絡みで何かがあったらしい。十中八九、私が迷惑をかけたとしか考えられないけれど。
(あーあ。エリック、怒ってるんだろうなぁ)
眼鏡のブリッジを中指でクイッと持ち上げるのはお説教の合図。思わず逃げたくなるが、さすがに今回ばかりは素直に謝るべきだろう。とりあえずこのやけに大きなスライムがなくなって、目覚めたら開口一番謝ろう。
エリックとはクラスも一緒だし、休日も一緒に過ごしたりしているから家族より長い時間一緒にはいるけれど。それでもいつもよりさらに近くにいる気がした。
と、いうのもこのエリックの魔力を纏ったスライム、略してエリスラのせいだ。彼がずっと側にいる気がして落ち着かない。見張られているみたいだもの。
「ちょっと目を離した隙に……」
そう言ってため息を吐くエリックが脳裏を過る。
どうせ私はおっちょこちょいだからね。信用がないのは分かってるってば。ぐちぐちと文句を言われるなら、さっさと謝ってしまうに限る。何もすることができないから、謝る練習でもしておこう。
めげずにエリスラを破る作業も忘れない。なんてったって魔力には自信がある。入学試験もトップクラスだったし、その後の学園生活でもとても優秀なのだ。エリックは常に首位で、一度も勝てたことがないけれど……。
私がほんの少しの才能と数え切れないほどの努力で実力をつけてきたのに対し、悔しいことにエリックは天才肌だ。その上、努力までしちゃうものだから、彼に勝てないことくらい分かりきっている。もういっそエリックがここまで立派になったのは、幼馴染の私と切磋琢磨してきたからだと胸張って言えるくらいである。
確かに小さな頃は、何でもできるエリックに劣等感とかやっかみを覚えたものだけど。それも彼の努力を知ってからは思わなくなったし、寧ろそんなエリックを馬鹿にする奴らに対して片っ端からやり返してやった。
「そんな奴ら相手にすることない。放っておけ」
でも、悔しいから! そうちょっと涙目になってしまった私に、
「ありがとう」
と、少し笑って言われてしまえば、単純な私はエリックを護ってあげると心に決めた。
(あーあ、それなのにガッツリ護られてるなぁ)
そう、エリスラは私を護っている。どうやら傷ついた身体を補修してくれているようなのだ。この時点でエリック本人は無事なのだろうと分かる。魔法は術者が正常な状態でないと維持はできないからだ。
やっぱり実験失敗説が濃厚かも。それか同級生のそれに巻き込まれたか。
うん、文句を言われる前に目覚めたらすぐに謝ろう。そうと決まれば、エリスラを解除する方向に力を注ぐことにする。なんだかエリックに抱きしめられているみたいで落ち着かないし。そういう仲じゃないから!
確かに良い奴だし、見た目もいい。背も高いし、足も長い。それから私よりも魔法の才能がある。本人には絶対に言わないけれどエリックはいい男だと認めている。愛想は全くないけれど。
それでも昔は私より背が低かったし、泣き虫だった。大人しかったエリックはお茶会などで男の子たちの標的になりがちで、いじめられてはメソメソと私の後ろをいつもくっ付いてきて可愛かったな。
いつの間にかぐんぐん背が伸びたエリックに、あっという間に追いぬかれて。今となってはちょうど目線がエリックの口元だ。まだ彼は大きくなるのだろうか? とっくに身長が止まってしまった私としては羨ましい限りである。
(っていうかさ、エリックのことばかり考えすぎじゃない?)
この全身を優しく包む魔力が脳内からエリックを離れさせてくれない。
――なんだか段々と悔しくなってきた。絶対破ってやる!
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