記憶がありませんが、身体が覚えているのでなんとかなりそうです
23.誰?
目の前の青年の顔に覚えはない。隣のケイシ―に目配せをすれば困惑の色が返ってきた。
「知ってる方……?」
こっそりと小声で聞くもケイシ―からは「まぁ……」と曖昧な返事があるだけ。
一体誰なのだろう。年上にしか見えないけれど、今の私にとっては皆がそうであるから判断は難しい。
「ええっと……」
「元気になられたようで安心しました」
「はぁ……」
「ああ、申し訳ない。お見掛けしたことはあっても直接話したことはないですから、戸惑われるのも当然だ」
言葉に詰まった私を無礼だと言うことなく、白い歯を見せた彼は爽やかに笑った。
――カフェを出てからケイシ―と並んで歩いていると、突然背後から名前を呼ばれたのだ。さすがにただの声掛けだと思えず、足を止めたのだが。しかし顔を見ても全く記憶がなく、少し気まずく思って今に至る。幸いだったのは記憶に関係なく、初対面であるということだ。普段着ではあるが、引き締まった体躯で騎士なのではないかと予想できた。エリックのように例外もいるから確信はないけれど。
「実はお見舞いにも伺ったのですが……」
「えっ!?」
ますます分からない。見舞いに来てくれる間柄なら、それなりに付き合いがあるはずでは? ああ、もう、考えたって分からないものは分からない。私は早々に白旗を上げた。いっそハッキリと尋ねたほうがこれ以上気まずくなることはない……はず。
「申し訳ありませんが……咄嗟にお名前が出てこなくて。無礼を承知でお伺いしますが、どちら様でしょうか?」
「失礼しました。私は騎士団に所属しておりますアイヴァン・ラーナと申します」
やはりというか、案の定聞いたことのない名前だ。それよりもまさか騎士団員だとは。貴族の家名にも疎いので、彼が有名な方なのかどうかも判断できずにいた。
「アイヴァン様ですか……」
私の記憶がすっぽり抜けている以上、下手なことを言ってエリックに迷惑がかかるかもしれないと思うと、迂闊に返事ができずに口籠る。エリックが心配していたのは、こういう事態を考えていたのだろう。会話に困ったら「記憶があいまいで……」作戦でいかなくては。
「はい。ご友人とお楽しみのところ、失礼いたしました」
戸惑う私を庇うように、ズイッと出たケイシ―を困ったように見下ろすさまは、悪い人には思えなかった。
頭脳派の魔術師とは逆に騎士といえば肉体派で、どちらかというと口より先に手が出る血の気の多い者が多い。それなのに、このアイヴァンという騎士は穏やかそうだし、実際話し方は丁寧で落ち着いていた。私のように思い立ったらすぐに行動してしまうような落ち着きのない魔術師もいるので、それは何とも言えないところではあるが。そうか、私も例外だった、とどうでもいい気づきをしてみたり。
「思わず見かけて声を掛けずにはいられませんでした。なんせラリア様には妹……グレイスのせいで大変な怪我を負わせてしまいましたので」
「あ……」
その言葉で理解した。なるほど、そういう繋がりの人だったのかと分かり、こっそりと内心で安堵の息を吐いた。
「よろしければ今から少しお時間を頂いても? ちょうどグレイスとすぐ近くにあるカフェで待ち合わせをしているものですから」
「えっ! でも……」
「是非とも直接謝罪の機会を与えてやってください。それほどお時間は頂きませんから」
気持ちは分かるけれど、そもそも任務で起きた事故だ。復帰もしているのだから、彼らがここまで申し訳なく思わなくてもいいことくらい、騎士ならな分かるはず。
なんとかして収めて欲しいけれど、もしかしてエリックの対応が相当冷たかったとかで、かなり怒らせたと思った可能性もある? ……うん、充分にあり得る。
「妹さんに怪我もなく、私もこうして無事に回復できましたので、どうぞお気遣いなく!」
いえいえ、そんなこと言わずに……と返ってきそうな予感しかないが、そういうより他がなかった。こういうやり取りは苦手だ。
「はは、実はそう言われると思っていました」
「えっ?」
「は?」
押し問答の予感を裏切り、やけにあっさりと引き下がられてケイシーと同時に思わず声を上げてしまった。呆気にとられる私たちの目の前に、封筒が差し出される。封蝋のマークはこの国の誰もが知るもの。
「これは……王家の? どうして?」
「私、ジェフリー殿下の側に仕えさせていただいております。この件を殿下に報告したところ、主としても礼をさせて欲しいと仰られ、こちらを託された次第です。よろしければご都合のつく日に気軽にお茶を飲みにいらして下さい」
ジェフリー様といえばつい最近、エリックとの会話にも出てきた第二王子殿下だ。王宮で王子様とお茶とか、気軽にできるものでもないのだけれど。それに記憶もないのに粗相があったらと思うと恐ろしすぎる。
「いつから後を付けてたんだか」
「ケイシー?」
返答に困っていると、低い声が隣から聞こえてきた。ケイシーがアイヴァン様に鋭い視線を送っている。それに気づいた彼の瞳も冷ややかなものに変わる。先ほどの好青年ぶりからは考えられない温度差だ。
状況についていけず、キョロキョロと二人の間を行ったり来たり、視線を彷徨わせる私。ええっと、これはいったいどういう状況?
「さっさとハッキリさせないからだろう」
「こっちにも都合があるんだけど。分かるでしょ」
バチバチと火花を散らす二人。間でオロオロするだけの私。一体どういうこと? 記憶がないことと関係あるのかないのかすら分からない。
アイヴァン様の妹さんを庇った私が、上司である殿下からお茶会に招待され(気軽にできるかどうかはさて置き)、なにやらケイシーが敵意を剥き出しにしている。
うん、やっぱり意味が分からない。
「エリック……あの、そういうお誘いならば夫に報告して、後日お返事をさせていただきます」
分からないときはエリックに委ねるに限る。私も一応貴族籍ではあるものの末端だし、作法よりも魔法の勉強を優先で生きてきたから、とてもじゃないが殿下とのお茶会に出席できるレベルではない。エリックも同じように過ごしてきたけれど、なんでも卒なくこなせるし堂々としている。そしてなにより伯爵家の本家だから、そのような機会もあったはず。
お断わりすることはできないにしても、ここで返事はせずにエリックも一緒に行くとか、何かしらの対策を立てたい。なんせ今の私にはエリックが頼りなのだ。
「それはもちろん! でも貴女を案じるあまりに、またもや無下にされないか心配しています。ですからどうラリア様からも口添えしていただけたら……」
「確かに、そうですね……」
暫く昏睡状態だったから仕方がないとはいえ、この数日のエリックを見ていれば迷うことなく断りを入れるだろうと容易く想像がつく。アイヴァン様にまで知られているのはどうかと思うが、見舞いに来てくれたと言っていたから、その時に何か思うことがあったのかもしれない。
「優秀な魔術師であるラリア様にとって興味深いだろう話もごさいますので、是非いらしてください」
では、と去って行ったアイヴァン様を見送って、ケイシーに向き直る。私の腕を掴んだまま強張っている手を両掌で優しく包めば、ハッとして見上げた瞳は不安そうに揺れていた。
「なんか、水を差されちゃったね。殿下とのお茶会に行くなんてエリックがものすごく嫌がりそうだわ」
「そりゃそうだよ。あいつはラリアに自分以外が近づかないよう異常なまでに警戒してるんだから」
「ふふ、さすがにそれは言い過ぎでしょ」
「ってことは残念ながら、ないんだよねぇ。ここまで認めさせるの大変だったんだから。ま、嫌気が差したらいつでも匿ってあげるからね」
そうおどけた口調で返したケイシーの眉尻は下がったままだ。アイヴァン様との別れ際の不穏なやり取りが尾を引いているのかもしれない。
『私』だったら原因を知っていただろうか? だとしたら下手な言葉をかけないほうががいいのかな……って、ああ! もどかしい! ウジウジせずに、思ったことを素直に伝えてもケイシーなら嫌な顔しないのに……って、え?
「ラリア? どうかした?」
首を傾げるケイシーに、脳裏に浮かんだ言葉が蘇る。やっぱり『私』はケイシーを信用していたのだ。
「庇おうとしてくれてありがとうね」
「改まって言われると照れるじゃない……さ、気を取り直して行こう!」
素直な気持ちを口にすれば、私の手を繋いで引っ張ったケイシーの頬と、風で靡いて露わになった耳が少し赤く染まっているのが見えて、改めて可愛い人だなと思った。大丈夫、疎ましく思われてはいないはず。それと同時に記憶がないことが申し訳なくなるけれど、この手の感触を知っていることが少しだけ救いになった。
「知ってる方……?」
こっそりと小声で聞くもケイシ―からは「まぁ……」と曖昧な返事があるだけ。
一体誰なのだろう。年上にしか見えないけれど、今の私にとっては皆がそうであるから判断は難しい。
「ええっと……」
「元気になられたようで安心しました」
「はぁ……」
「ああ、申し訳ない。お見掛けしたことはあっても直接話したことはないですから、戸惑われるのも当然だ」
言葉に詰まった私を無礼だと言うことなく、白い歯を見せた彼は爽やかに笑った。
――カフェを出てからケイシ―と並んで歩いていると、突然背後から名前を呼ばれたのだ。さすがにただの声掛けだと思えず、足を止めたのだが。しかし顔を見ても全く記憶がなく、少し気まずく思って今に至る。幸いだったのは記憶に関係なく、初対面であるということだ。普段着ではあるが、引き締まった体躯で騎士なのではないかと予想できた。エリックのように例外もいるから確信はないけれど。
「実はお見舞いにも伺ったのですが……」
「えっ!?」
ますます分からない。見舞いに来てくれる間柄なら、それなりに付き合いがあるはずでは? ああ、もう、考えたって分からないものは分からない。私は早々に白旗を上げた。いっそハッキリと尋ねたほうがこれ以上気まずくなることはない……はず。
「申し訳ありませんが……咄嗟にお名前が出てこなくて。無礼を承知でお伺いしますが、どちら様でしょうか?」
「失礼しました。私は騎士団に所属しておりますアイヴァン・ラーナと申します」
やはりというか、案の定聞いたことのない名前だ。それよりもまさか騎士団員だとは。貴族の家名にも疎いので、彼が有名な方なのかどうかも判断できずにいた。
「アイヴァン様ですか……」
私の記憶がすっぽり抜けている以上、下手なことを言ってエリックに迷惑がかかるかもしれないと思うと、迂闊に返事ができずに口籠る。エリックが心配していたのは、こういう事態を考えていたのだろう。会話に困ったら「記憶があいまいで……」作戦でいかなくては。
「はい。ご友人とお楽しみのところ、失礼いたしました」
戸惑う私を庇うように、ズイッと出たケイシ―を困ったように見下ろすさまは、悪い人には思えなかった。
頭脳派の魔術師とは逆に騎士といえば肉体派で、どちらかというと口より先に手が出る血の気の多い者が多い。それなのに、このアイヴァンという騎士は穏やかそうだし、実際話し方は丁寧で落ち着いていた。私のように思い立ったらすぐに行動してしまうような落ち着きのない魔術師もいるので、それは何とも言えないところではあるが。そうか、私も例外だった、とどうでもいい気づきをしてみたり。
「思わず見かけて声を掛けずにはいられませんでした。なんせラリア様には妹……グレイスのせいで大変な怪我を負わせてしまいましたので」
「あ……」
その言葉で理解した。なるほど、そういう繋がりの人だったのかと分かり、こっそりと内心で安堵の息を吐いた。
「よろしければ今から少しお時間を頂いても? ちょうどグレイスとすぐ近くにあるカフェで待ち合わせをしているものですから」
「えっ! でも……」
「是非とも直接謝罪の機会を与えてやってください。それほどお時間は頂きませんから」
気持ちは分かるけれど、そもそも任務で起きた事故だ。復帰もしているのだから、彼らがここまで申し訳なく思わなくてもいいことくらい、騎士ならな分かるはず。
なんとかして収めて欲しいけれど、もしかしてエリックの対応が相当冷たかったとかで、かなり怒らせたと思った可能性もある? ……うん、充分にあり得る。
「妹さんに怪我もなく、私もこうして無事に回復できましたので、どうぞお気遣いなく!」
いえいえ、そんなこと言わずに……と返ってきそうな予感しかないが、そういうより他がなかった。こういうやり取りは苦手だ。
「はは、実はそう言われると思っていました」
「えっ?」
「は?」
押し問答の予感を裏切り、やけにあっさりと引き下がられてケイシーと同時に思わず声を上げてしまった。呆気にとられる私たちの目の前に、封筒が差し出される。封蝋のマークはこの国の誰もが知るもの。
「これは……王家の? どうして?」
「私、ジェフリー殿下の側に仕えさせていただいております。この件を殿下に報告したところ、主としても礼をさせて欲しいと仰られ、こちらを託された次第です。よろしければご都合のつく日に気軽にお茶を飲みにいらして下さい」
ジェフリー様といえばつい最近、エリックとの会話にも出てきた第二王子殿下だ。王宮で王子様とお茶とか、気軽にできるものでもないのだけれど。それに記憶もないのに粗相があったらと思うと恐ろしすぎる。
「いつから後を付けてたんだか」
「ケイシー?」
返答に困っていると、低い声が隣から聞こえてきた。ケイシーがアイヴァン様に鋭い視線を送っている。それに気づいた彼の瞳も冷ややかなものに変わる。先ほどの好青年ぶりからは考えられない温度差だ。
状況についていけず、キョロキョロと二人の間を行ったり来たり、視線を彷徨わせる私。ええっと、これはいったいどういう状況?
「さっさとハッキリさせないからだろう」
「こっちにも都合があるんだけど。分かるでしょ」
バチバチと火花を散らす二人。間でオロオロするだけの私。一体どういうこと? 記憶がないことと関係あるのかないのかすら分からない。
アイヴァン様の妹さんを庇った私が、上司である殿下からお茶会に招待され(気軽にできるかどうかはさて置き)、なにやらケイシーが敵意を剥き出しにしている。
うん、やっぱり意味が分からない。
「エリック……あの、そういうお誘いならば夫に報告して、後日お返事をさせていただきます」
分からないときはエリックに委ねるに限る。私も一応貴族籍ではあるものの末端だし、作法よりも魔法の勉強を優先で生きてきたから、とてもじゃないが殿下とのお茶会に出席できるレベルではない。エリックも同じように過ごしてきたけれど、なんでも卒なくこなせるし堂々としている。そしてなにより伯爵家の本家だから、そのような機会もあったはず。
お断わりすることはできないにしても、ここで返事はせずにエリックも一緒に行くとか、何かしらの対策を立てたい。なんせ今の私にはエリックが頼りなのだ。
「それはもちろん! でも貴女を案じるあまりに、またもや無下にされないか心配しています。ですからどうラリア様からも口添えしていただけたら……」
「確かに、そうですね……」
暫く昏睡状態だったから仕方がないとはいえ、この数日のエリックを見ていれば迷うことなく断りを入れるだろうと容易く想像がつく。アイヴァン様にまで知られているのはどうかと思うが、見舞いに来てくれたと言っていたから、その時に何か思うことがあったのかもしれない。
「優秀な魔術師であるラリア様にとって興味深いだろう話もごさいますので、是非いらしてください」
では、と去って行ったアイヴァン様を見送って、ケイシーに向き直る。私の腕を掴んだまま強張っている手を両掌で優しく包めば、ハッとして見上げた瞳は不安そうに揺れていた。
「なんか、水を差されちゃったね。殿下とのお茶会に行くなんてエリックがものすごく嫌がりそうだわ」
「そりゃそうだよ。あいつはラリアに自分以外が近づかないよう異常なまでに警戒してるんだから」
「ふふ、さすがにそれは言い過ぎでしょ」
「ってことは残念ながら、ないんだよねぇ。ここまで認めさせるの大変だったんだから。ま、嫌気が差したらいつでも匿ってあげるからね」
そうおどけた口調で返したケイシーの眉尻は下がったままだ。アイヴァン様との別れ際の不穏なやり取りが尾を引いているのかもしれない。
『私』だったら原因を知っていただろうか? だとしたら下手な言葉をかけないほうががいいのかな……って、ああ! もどかしい! ウジウジせずに、思ったことを素直に伝えてもケイシーなら嫌な顔しないのに……って、え?
「ラリア? どうかした?」
首を傾げるケイシーに、脳裏に浮かんだ言葉が蘇る。やっぱり『私』はケイシーを信用していたのだ。
「庇おうとしてくれてありがとうね」
「改まって言われると照れるじゃない……さ、気を取り直して行こう!」
素直な気持ちを口にすれば、私の手を繋いで引っ張ったケイシーの頬と、風で靡いて露わになった耳が少し赤く染まっているのが見えて、改めて可愛い人だなと思った。大丈夫、疎ましく思われてはいないはず。それと同時に記憶がないことが申し訳なくなるけれど、この手の感触を知っていることが少しだけ救いになった。