転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
「逸生さん…?」
私の肩に顔を埋め、深い溜息を吐いた彼は、私の問いかけに応じることなく背中にまわした手に力を込める。
「…勝手に行動してすみませんでした。今後こういうことがないよう気をつけます」
「……」
ムスクの香りが鼻腔をくすぐる。実家も落ち着くけれど、すっかりこの匂いに慣れてしまった私は、逸生さんの腕の中が驚くほど心地良く感じてしまった。
「…逸生さん」
彼は拗ねているのか、それともまだ怒りがおさまらないのか。言葉を発さないけれど、私から離れようともしない。
「…お腹空いてませんか?さっき母からアップルパイを貰ったので、逸生さんと一緒に食べようと思って。母のアップルパイ、絶品なんですよ」
「…食う」
ぽつりと呟いた逸生さんは、私の背中に回していた手を緩め、そっと身体を離すと私の手元に視線を落とす。
そしてアップルパイの入った箱を捉えると「実家に帰ってたのか?」と首を傾げた。
「はい、そろそろ顔を出さないと父の気が狂うかもしれないと思ったので」
「…俺もいつかお前のご両親に会ってみたいな」
「かなり濃いキャラしてますけど、大丈夫ですかね」
「普段からキャラが濃い人達に囲まれてるから大丈夫だろ」
「…確かにそうですね」
オフィスのメンバーを思い出したのか、逸生さんはふっと吹き出すように笑う。
やっと笑顔を見せた彼に、思わずほっと胸を撫で下ろした。
「では、とりあえず晩御飯を作りますね」
早速リビングに向かおうとすれば、逸生さんが「あ」と何か思い出したように声を出すから、思わず足を止めた。
「…レストラン……」
「…え?」
ボソッと落とされた声が上手く聞き取れなかった私に、逸生さんは「ううん、何でもない」と目を細める。
「やっぱ今日は紗良のご飯が食べたい」
会食がない日は、いつも私の手料理を食べているというのに。意味深な言葉を放った彼は、戸惑う私を余所に「ちょっと電話してくる」と言うと、そのまバルコニーに出てしまった。
部屋の中から逸生さんの様子を伺えば、煙草を吸いながらどこかに電話をかけていた。誰に電話しているのだろうと、不思議に思いつつも踵を返すと、ふと、ソファの上に何かが置いてあるのが目に入った。