転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
“政略結婚、本当はしたくないですか?”
あの時、返事に迷ってしまった。
したくない、なんて言いたくない。そんな簡単な気持ちで約束を交わしたわけじゃないから。
それなのに、紗良と距離が近くなればなるほど、自分の中で迷いが出てくる。“しない”なんて選択肢はないけど、まだもう少し紗良と一緒にいたいと、心が願ってしまう。
まぁでも、それは俺の一方的な気持ちであって、紗良は早く俺の我儘から解放されたいかもしれないし。
とりあえず、約束の時まであと半年はあるわけだ。どうせ婚約者を決めるのは俺じゃなくて親父だろうし、それまでは紗良と少しでも長く同じ時間を過ごしたい。
あわよくば、紗良の笑顔を見たい。
…紗良に会いたくなってきた。早くオフィスに戻ろ。
「────逸生」
突如鼓膜を突いた、聞きなれた掠れた低音。
今は会いたくなかった。と、うんざりしながらゆっくりと振り返る。
「はい」
会社では敬語。入社した時からそれは徹底している。
そうすれば「ちょっといいか」と近付いてくる親父に「はい」と返事をしながらも、怪訝な目を向けた。
だって、この男が会社の廊下で声を掛けてくるなんて珍しい。
いつも会話するのはだいたい社長室か会議室。あとは電話くらいだ。しかもほぼ業務連絡。世間話をした記憶なんて、ないに等しい。
「逸生、お前最近女を飼っているらしいな」
ああ、そういう事ね。
あの女、さっそく告げ口しやがったな。