転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
「───失礼します」
『社長室』と書かれたプレートが貼ってある部屋のドアを開けた。その瞬間、中にいた人物の視線が此方に移った。
そこにいたのは社長である親父だけではなかった。親父と話しをしていたらしい兄貴が、冷めた視線で静かに俺を見ている。
まるで俺を待っていたかのようなタイミング。無意識に拳を握りしめた。
「話があります」
もう迷いはない。
真っ直ぐに視線を向けながら口を開けば、親父の視線が微かに鋭くなった。
「政略結婚の話、なかったことにしてもらえませんか」
「……は?」
「心に決めた人がいます。だから他の人とは結婚出来ません」
「逸生、お前…」
革張りの椅子から立ち上がった親父の眉間には、かなり深い皺が寄っていた。ゆっくりと近付いてくる親父の目は、氷のように冷めたい。
「その冗談は笑えないな」
「冗談ではありません」
「何を言っているのか分かってんのか。お前みたいな不真面目な人間が、なぜここにいられると思ってる?」
「分かってます。約束も忘れていません。でも、その約束は果たせません。会社より大事なものが出来ました」
「お前…ふざけんなよ」
親父の顔がどんどん険しくなっていく。地を這うような低い声を放った親父は、今にも胸ぐらを掴みそうな勢いで詰め寄ってくる。
「会議まで1週間を切ってんだぞ。もう相手も確定していて、既に連絡を入れている。会議に同席してもらって、そこで正式に決定する予定だ。今からやっぱりナシにしろなんて言えるわけないだろ。私だけじゃない、相手にも恥をかかせることになる」
「……分かってます。責任は取ります」
「責任?辞めたら許されると思ってんのか。逃げて終わりか?ほんとにお前は調子のいい男だな」
親父のこの目、今までに何度も見たことがある。俺が問題を起こす度、この目で見下ろされていたから。
その時は、こんな目しか向けてこない親父が憎くて仕方なかったけど。今は何をされても、何を言われてもいい。
それで紗良のところへ行けるなら、全て受け止められる自信があった。