転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
last.転生未遂ヒロインは
「これから買い物に行くんだけど、紗良も一緒にどう?」
「こんな時間から行くの?」
「こんな時間だからこそ行くんでしょ。値引きのシールいっぱい貼ってあるんだから」
夜の8時。こんな時間から買い物に出ようとする母を見て、庶民の家に帰ってきたという実感をひしひしと感じていた。この1年、逸生さんの家でどれほどセレブな生活をさせてもらっていたのかが分かる。
「お父さんと行っておいでよ」
「あの人お昼に“今日は1日出かけてくるー”って出ていったきり帰ってこないのよ」
「…だから私を荷物持ちにしようとしてる?」
「バレた?」
「私は行かないよ」
「ケチね。まぁいいわ、ひとりで行ってくる。何か食べたいものはある?」
「ううん。特になにも」
首を横に振った私を見て、母はにやりと口角を上げながら「お母さんはアイス買ってきちゃお」と言うと、バッグを持って家から出て行ってしまった。
退職して実家に帰ってきてから数日が経った。突然帰ってきた私に、両親は何も聞いてはこなかった。
きっと、ドライバーさんに送ってもらったあの日に泣き腫らした顔で帰ってきた私を見て、何かを察してくれたのだと思う。あの過保護な父ですら「おかえり」しか言わなかったから。
でも私はそんな両親に救われていた。今はまだ彼の話を思い出として話せる自信がないし、“おかえり”の一言で、私の居場所はここなんだと再認識することが出来たからだ。
ここに帰ってきてからの私は、毎日だらだらと家で過ごし、たまに家事の手伝いをしているだけ。次の就職先はまだ探していない。ただのニートを満喫している。
ただ、ここに帰ってきてから夜に外を出歩けなくなった。部屋の窓から夜の景色を見ることもなくなった。
街の光を見ると、逸生さんの部屋から見た夜景を思い出してしまうから。