転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
あの逸生さんが、分かりやすく落ち込むなんてありえない。
“実はかなりの苦労人なのに、それを感じさせない逞しさもあって”
過去に会長も言っていた。逸生さんは、決して人に弱いところを見せない。1年間隣にいた私ですら、彼の涙を見たのは、あの最後の夜だけだった。
『常に上の空というか、覇気がなくて。一応笑ってるんすけど、無理してるのが伝わってくる。あんな専務を見たの、俺を含めみんな初めてみたいで』
「……」
どうしよう。これ以上聞きたくない。
だって、心配で今すぐ駆けつけたくなる。それと同時に、逸生さんも私と同じ気持ちなのかなって期待してしまう。
けれど、
『まぁでも、昨日あたりからあまりオフィスには現れなくなったんですけどね。上層部が急にバタバタし始めて…本格的に結婚の準備を始めたのかも』
「…そう、ですか」
最後の一言で、一気に現実に引き戻された。
もう今更何をしても、何を思っても手遅れだ。お互い未来に向かって動き始めている。
だからもう、どんな理由があっても私達は会うべきではない。会えば、また別れがかなしくなるから。
『でも俺は、岬さんに帰ってきてもらいたいっすけどね』
「…ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です。そんなことより、そろそろ敬語で話すのはやめませんか?こうして何でも話せる仲になったわけですし」
坂本さんの攻撃を躱し、無理やり話題を変えた。怒られるかなって思ったけれど、意外にも坂本さんは『え、いいんすか?じゃあ…敬語やめるわ』と私の提案に快く頷くと、さっそく慣れない口調で『こんな感じ?』と首を傾げた。
「バッチリです」
『岬さんは敬語?』
「…バッチリ、だよ?」
『ぎこちなさすぎ』
坂本さんがふっと吹き出すように笑ってくれたお陰で、私達の間に流れる空気が和らいだ気がした。
そこから少し、他愛もない話をして電話を切ったけれど。通話が終了したあと、スマホの画面を見つめながら思い浮かべたのは、やっぱり逸生さんの顔だった。