転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
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「紗良、お疲れ。今日は疲れたろ」
高級マンション最上階。逸生さんの部屋に帰ると、彼は私に声をかけながらソファに腰を下ろし、背もたれに身体を預けた。
逸生さんの言う通り、かなり疲れた。ああいう場所に慣れていないだけでなく、色々なことが重なり過ぎたから。常に気を抜けない状態だったし、だいぶ肩が凝っているのが分かる。
そして逸生さんも相当疲れているのか、溜息のような息を吐きながらネクタイを緩めた。
「お風呂先に入っておいで。その服じゃ落ち着かないだろ」
ポケットからスマホを取り出し、画面に視線を向けながら話しかけてくる逸生さん。その様子をリビングの入り口に立ったままぼんやりと見つめていたら、スマホの画面に向いていた彼の視線が、ゆっくりと此方に移った。
「……紗良?」
問いかけに反応しなかったせいか、心配そうな声が耳に届く。
「どうした?元気ないな」
とりあえずここ座る?と、隣を指さした彼は「おいで」と手招きしてくる。その言葉に素直に甘え、彼の隣に腰を下ろせば、もうすっかり嗅ぎ慣れてしまったムスクの香りが鼻腔をくすぐった。
こうして逸生さんと部屋でゆっくりとした時間を過ごすのは、もしかしたら初めてかもしれない。ここ最近の彼の帰宅時間は、日付が変わる直前だったから。
そんな生活を始めて今日で2週間程経ったわけだけど、キッチンやお風呂の使い方にもだいぶ慣れてきた。もう大体の物はどこにあるのか分かるし、お風呂上りにお茶を飲みながらのんびりと夜景を見るのが好きだ。
最初は落ち着かなかったこの部屋も、今では居心地がいい。
───でも、
「…逸生さん」
「ん?」
「やっぱり私、秘書に向いていないと思います」
「…え?」
「だから、今すぐクビにしてください」
帰りの車の中でずっと考えてた。
私、秘書の仕事を辞めて、この部屋からも出て行こうと思う。