転生(未遂)秘書は恋人も兼任いたします
「よし、今日は疲れただろうから、紗良は風呂に入って先に休んでて。俺は煙草吸ってくる」
そう言って、何の余韻も残さずあっさりと立ち上がった逸生さんは、ポケットから煙草を取り出してバルコニーへ向かう。その背中を見つめながら、やっぱり今日も恋人らしいことはしないんだな、と心の中で呟いた。
何となく、今日は今までで一番いい雰囲気だった気がするんだけど。やっぱり彼は、キスどころか私に触れようともしない。
距離が近付いたかと思ったけど、結局触れられたのは毛先だけ。
恋人になれって言ったのは逸生さんの方なのに。わざわざ一緒に寝られるベッドを買ったのも逸生さんだし、恋人らしく名前で呼べって言ったのも逸生さんなのに。
「…逸生さん」
「ん?」
窓を開けようとしていた逸生さんを無意識に呼び止めれば、振り返った彼は「どした?」と首を傾げる。
「…なんでもないです。おやすみなさい」
目が合った瞬間、ハッと我に返った。
ぎこちない一言を残して、逃げるように背を向ければ、後ろから「おやすみ」という彼の穏やかな声が聞こえた。
それに対し再び「おやすみなさい!」と放った私は、振り返らずにバスルームへと急ぐ。
そしてリビングを出てすぐドアに背中を預けると、思わず深い溜息を吐いた。
バカだ。咄嗟に彼を呼び止めて“キスしないんですか?”って聞きそうになった。雇われている身でがっつくなんて、無礼にも程がある。
でも、彼の求める恋人が何なのかさっぱり分からない。人生最後の彼女を作って、彼は一体何がしたかったんだろう。
…いや待てよ。もしかすると、これって
「…焦らし、プレイ?」
“泣かせたくなる”“縛られるより縛りたい”
蘇るドS発言。もしかしてこれは、Sっ気のある彼の、焦らしプレイってこと?
やだ、なんかちょっと…ぞくぞくする。
慣れない感覚に、思わず頬が緩む。
でもさすが逸生さん。余裕そうに見えるから、きっと慣れてるんだ。
──てことは、当分キスはお預け…かな。
「…ドレス姿、可愛すぎんだろ。もっと触れたいのにやっぱ無理。生殺しマジでしんどい」