新そよ風に乗って 〜時の扉〜
慌てて視線を逸らしたが、絶対気づかれていたはず。
「ふーん。見られるのも嫌と来たか」
「えっ?」
神田さんを見ると、顎で私に見るようにと意思表示をしていたので、急いで高橋さんの方を見ると、席を立ってトレーを持って歩き出していた。
「気になる行動してくれるねえ。こりゃ、リサーチする価値大だわね。陽子。このまゆみ様に、ハイブリッジのことは任せて」
「か、神田さん。任せてって、そんなんじゃないから高橋さんは……」
「いいから、いいから」
「よ、よくないわよ。本当に、何もしないで……お願いだから」
「陽子?」
本当に、何もしないで欲しい。
「ただ、遠くから見ているだけでいいの。それだけで、もう十分だから」
「何、言ってるのよ」
エッ……。
「見てるだけで十分とか、冗談じゃないわよ」
神田さん?
口調は穏やかだったが、明らかに神田さんの瞳は険しく私を見据えている。
「遠くから見てるだけとか、それだけで十分だとか、芸能人じゃあるまいし。そんな相手は、高嶺の花じゃないわよ」
「神田さん」
「同じ人間で、同じ会社で、同じ部署に居る。手を伸ばせば、届くところに居るの。もっとはっきり言えば、相手が誰であろうと男と女には変わりないんだから。ハイブリッジは、確かに近寄りがたい雰囲気かもしれないけど、こっちまで構えちゃったらマイナスとマイナスで、余計に距離が離れるだけ」
「でも……」
「でもじゃない。まあ……陽子が見てるだけで満足とか、そんな気持ちだけなんだったら、恋とか、愛とか、それ以前の問題で、単なる憧れだけかもしれないかもね」
単なる憧れ。
そうかもしれない。社会人になって高橋さんは初めての上司だし、社会人の男性はこんなにしっかりしていて、学生とは全然違うんだということを、身をもって実感しているから。
「いけない。もう行かなきゃ。怖い、怖いお局が総務にもワンサカ居るのよ。腕時計見ながら、待ち構えてるんだから。」
「嘘……」
「三歩、歩けばお局に当たるってね。陽子。お先に」
「う、うん。頑張ってね」
「あいよ! また連絡するから」
トレーを持って、神田さんは急いで行ってしまった。私も、そろそろメイク直して行こうかな。
神田さんが言った、単なる憧れという言葉に妙に納得していた。高橋さんのことが気になっているのは、単なる憧れから来るものだったんだ。そう思ったら、何だかすっきりしている自分が居た。
少し慣れてきた、会社での一日。ランチの後は必ずパウダールームに寄って、そこでメイク直しをしてトイレに行ってから事務所に帰る。毎日、その繰り返しをしているのだが、パウダールームに居る人達は毎日違う顔ぶれだったりするので、まだまだ緊張しながら端の方でメイクを直していた。
そして、今日も社食でトレーを配膳口に戻してからパウダールームに向かったが、ドアを開けると混んでいたので先にトイレに行こうと思い、パウダールームの隣のトイレのドアを開けようとしながら、ふと通路左手を見ると高橋さんが喫煙ルームから出てきたところだった。
まずい!
あっ……。
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