新そよ風に乗って 〜時の扉〜
高橋さんは手帳を机の上に置くと、電話の伝言メモを見ながら直ぐに電話を掛け始めた。
忙しいな、高橋さんは本当に。
電話をしている高橋さんをジッと見てしまい、またしてもその視線に気づかれて目が合った。
うわっ。
もう、最悪だ。どうして、こうも目が合ってしまうんだろう。気をつけなくちゃ。
それから、なるべく高橋さんを見ないようにしようと、視線を向けないように意識していたが、夕方、計算が一段落して安堵しながら、ふと視線を感じて顔をあげると、高橋さんが左手にボールペンを持ったまま机に右肘を突き、右手の親指と人差し指の第二関節当たりで両口角を挟みながら、こちらをジッと見ていた。
な、何?
微笑むでもない。真剣な表情の高橋さんの瞳。その漆黒の瞳の奥に、今、私はどんな風に映っているんだろう。恐らく、何も出来ないから呆れられているのかもしれない。もう直ぐ、本配属が決まってしまう。私は、きっと……。
その時、ちょうど17時の退社時間を知らせるチャイムが鳴った。
その音に高橋さんも気づいたのか、視線を一瞬逸らせて上に向けた気がした。
「矢島さん」
「は、はい」
いきなり名前を呼ばれて、心臓が飛び出そうになりなった。
すると、高橋さんが席を立って、こちらに向かってきていた。
な、何?
私……何かしてしまったの?
高橋さんが中原さんの席の後ろを通る際、何か耳打ちすると中原さんは黙って頷いていた。
さっき、中原さんが教えてくれた、書類が不備だったのに受け取ってしまったことだろうか。そのことで、怒られるのかもしれない。
そして、高橋さんが私の席の横に立った。
「矢島さん」
「は、はい。あの……申し訳ありませんでした。不備な書類を……」
謝りながら椅子から立ち上がった私を、高橋さんが優しく微笑みながら左手で制した。
「食事に行こう」
はい?
< 173 / 210 >

この作品をシェア

pagetop