新そよ風に乗って 〜時の扉〜
明良さんは、白身魚のムニエルをナイフで切って取り分けながら、私の次の言葉を待っている。
先輩達に色々言われることが、この上なく嫌だった自分。そのことを気にする余り、殆どと言っていいほど自分から率先して仕事に取り組むなどなかったし、取り組もうとも思わなかった。ただ毎日、会社と家の往復のような生活が入社してから続いていただけで、何も努力などしていない。翼君のように、前向きな気持ちなんて全くなくて……。
「覚えることも沢山あるのですが、それ以前に、私……」
すると、明良さんが今まで動かしていたシルバーをお皿の両サイドにハの字に置くと、ワインを手酌で注いでからこちらを見た。
「何かに気づくこと、気づけることは、大切なことだと思うよ。その何かが人によって違うけど、自分で気づいて行動する。それはどんなことであれ、成長している証なんじゃないのかな。陽子ちゃんが社会人になって、学生時代のままの自分でいつまでも居たら、それはやはり不自然だと感じられれば、一歩前進。成長する、大人になることは、その繰り返しだと思うから。些細なことに気づける自分、気づく自分。俺は医者になってから、いつもそれがモットーなんだよね」
明良さんはそう言って、先に注いでいたワインを一口飲むと席を立った。
些細なことに気づける自分、気づく自分……。
私は、気づけているのだろうか? 
隣に座っている高橋さんを見ると、ちょうど目が合ってしまい、慌てて視線を戻したが、左側から痛いほど視線を感じていた。
「何だ?」
「い、いえ。何でもありません。お、お料理、美味しいですね」
「フッ……」
それ以上、高橋さんは何も聞いてこなかったので、ホッとしながらデザートを食べてお腹いっぱいになりながらお店を出ることにした。
「あの……。幾ら、お支払いすればいいですか?」
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