新そよ風に乗って 〜時の扉〜
神田さんが、口の前に立てていた人差し指を静かに移動させて指した指先の方向をゆっくりと振り返ると、そこには綺麗な女性が座っていて、そのテーブルの前に男性が立っていた。
「お待たせ。行こうか」
あの後ろ姿は……。高橋……さん。
「ちょっと、陽子。そんなにジッと見てたら視線感じてこっち見ちゃうから、あっ、こっち見た。陽子伏せて」
「えっ? 伏せてって、どうする……」
神田さんが素早く立ち上がると、私の横に立って、高橋さん達がテーブル一列を挟んで向こう側を通り過ぎるまで見えないように壁になってくれている。
さっきは、私が後ろ姿だったから高橋さんも気づかなかったのだと思う。だけど、お店の出口に向かうには、こちらに今度は向かってくるので顔が合ってしまう確率が高かった。
「何処に車停めたの?」
「この地下」
「そう……」
高橋さんと女性の会話が、耳に入ってくる。何だか親しげだけれど、誰なんだろう? 彼女? 高橋さんに彼女が居たっておかしくない。むしろ、いない方が不自然にさえ思える。だけど……。何だろう。この胸にバラの棘が刺さるように、チクチクと痛む感覚は。まるで、聞いてなかったことを高橋さんに問い質したいような憤慨している自分がいる。二人の足音が遠ざかっていくのを、息を潜めて聞いていた。何で、こんな気持ちになるんだろう?
「ああ、やっぱりSPIは違うよな。彼女のお茶代さり気なく出してるもん。憎いねえ、やることが……。陽子?」
エッ……。
高橋さんと女性は、もうお店を出て行ったのだろう。気づくと、立っていた神田さんが、私の名前を呼んで屈みながら顔を覗き込むように、顔を近づけてきた。
「陽子。アンタ、やっぱりハイブリッジに打ち抜かれてる」
「そ、そんなことないですって。絶対ないから」
「そんなに、ムキになることないじゃない。別に悪いことじゃないと思うけど? ハイブリッジは独身なんだし、好きになるのは自由なんだから。だけど……。そんなに否定するんだったら、私がアタックしてもいい?」
「えっ? 神田さんが?」
「そう。私がハイブリッジにアタックするの。勿論、陽子に協力してもらって。社内恋愛は、結構広まるのも早いから隠密行動取るにあたって、陽子の協力は不可欠だし、ハイブリッジと同じ担当だっていうのは、何においても心強いわ。会社帰りのデートだって、陽子に頼んで勤務中でも場所設定とか出来るでしょ? ああ、何だかドキドキしてきたわ」
すると、神田さんが不適な笑みを浮かべながら、妄想話を始めている。
神田さんが、高橋さんにアタックするにあたって、私はその協力をする。せっかく出来た同期の友達の神田さん。だけど……。
「あの、神田さん」
「な、何? いきなり大きな声出して」
絶好調で妄想話を進めていた神田さんが、話をやめてこっちを見た。
「私、やっと出来た同期の神田さんと、仲良くしたいと思ってます。だけど、だけど……。ごめんなさい。神田さんが高橋さんにアタックすることに、ちゃんと協力出来るかどうか、自信がないの。だから、他の人を当たって下さい。ごめんなさい」
もう目を合わせているのがプレッシャーで、それから逃れたい一心で勢いよく座ったまま頭を下げた。
ゴンッ!
「痛っ……」
「だ、大丈夫」
あまりにも、勢いよく頭を下げたものだから、そのまま額をテーブルにぶつけてしまい、その拍子でテーブルの上にのっていたコーヒーカップとソーサーが悲鳴をあげた。
「だ、大丈夫……。ちょっと、痛い……星が出てる」
「アッハッハ……。陽子って面白い」
「笑い事じゃないわよ。本当に痛いんだから」
「ゴメン、ゴメン。でもわかったから。アンタの気持ちは、もう十分わかったよ」
神田さん?
「遠回しでも、きちんと自分の気持ちを正直に話してくれたのに、それをスルーしたんじゃ、この神田まゆみの名が廃るわ」
な、何? 
「何のこと?」
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