新そよ風に乗って 〜時の扉〜
「もしもし」
「今、マンションの下にいる。支度出来たら降りてきて」
「は、はい。今、行きます」
電話を切ってから、もうこのままでいいと諦めて洗面所からリビングに戻ったが、緊張のあまりバッグを何処に置いたかわからなくなってしまい、部屋の中を右往左往して探したが玄関にちゃんと置いてあることに気づき、急いでトイレに入ってから慌ててバッグを掴むと部屋の鍵を閉めて急いで高橋さんの車まで向かった。
マンションを出ると、三メートルぐらい離れた場所に高橋さんの車が停まっているのが見えて、高橋さんはトランクにもたれ掛かりながら煙草を吸っていた。
「すみません。遅くなりました」
「おはよう」
「おはようございます」
ああ、眩しいな。
シルバーボディの車のリアガラスに朝日が反射して、その前に立っている高橋さんが照らされているように見え、白い無地のポロシャツが一層映える。高橋さんの私服を見るのは、これで二度目だ。スーツ姿の高橋さんも素敵だけれど、私服もやっぱり素敵だな。神田さんが言ってたけど、学生時代はモデルをしてたらしいが、それも頷ける。雑誌から飛び出てきたような錯覚をしてしまいそうだ。
「忘れないうちに、これ」
高橋さんが、パンツのポケットから見覚えのある定期入れを差し出した。
「あっ、すみません。わざわざ届けて下さって、ありがとうございました」
定期入れを受け取りバッグにしまい、もう一度高橋さんを見ると、黙って煙草を吸っている。
沈黙が続いてしまい、何だか居づらい雰囲気というか、こんな時の接し方というか、どんな態度でいればいいかわからなかった。やっぱりこのまま居るより、もう一度お礼を言って部屋に帰った方がいいような気がする。
「高橋さん。お休みのところ、わざわざ届けて下さって、本当にありがとうございました。それじゃ、失礼します」
「待てよ」
うわっ。
丁重にお辞儀をしてマンションの方に戻ろうとした私の右手を、高橋さんの左手が掴んでいる。
驚いて振り返ると、高橋さんが煙たそうに煙草を口に咥えながらこちらを見ていた。
「お前、人の話ちゃんと聞いてたか?」
そう言って私の右手を掴んでいた左手を離すと、ポケットから携帯用灰皿を出して煙草の火を消して吸い殻を入れると、またポケットにしまった。
「俺、さっき何て言った?」
「それは……」
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