彫刻
忠告
「すいぶん運転慣れてるね、そういう仕事って相当走り回るんだろ?」

男は落ち着いた口調に戻っていた。ふだんはとても優しい人柄のようだ。

「はい、年間3万キロは走りますね。車、すぐにガタがきちゃって結構大変なんですよ、お財布」

「サンダルで車の運転はあまり関心しないがまあいい。君が強引に乗せたんだから遠慮なくくつろがせてもらうよ。あ、まさかお酒、入ってないだろうね」

会話中、一度も顔を合わせようとしないが、その分観察力は鋭かった。

「もちろん、あの店にいたのは取材の仕事でしたから、仕事中は絶対飲みません。安してください」

「しかし、あんな勢いで俺に食いついてきたところ見ると、取材相手はよほどの外れだったようだね」

「ご名答!でもそんなことはしょっちゅうですから慣れてますけど」

テンポのいい会話が続き、黒川は少し期待を持ち始めたが、男はすかさず歯止めをかけてきた。

「今も仕事のなのかな?はっきり断っておくが、俺は勘弁してもらうよ。家に送ってもらうだけ、それでおしまい、いいね」

しかし、『粘りの黒川』は動じない。

「怖い体験をされたんですよね、え~っと・・・石田さん、でよろしいんですよね?」

「しつこいなぁ君は、それになんで私の名前を知っているんだ?」

「さっき背広の内側のネームが見えちゃったんで、職業病ですね、知り得る情報は小さなことでも逃さない。覗いて悪いと思ったんですが、これも私にとっては仕事なんです。気を悪くさせてしまったんならあやまります、ごめんなさい」

「別にいいよ」男は背を向けそう言うと、外を眺めながら堅く口を閉じた。これ以上もう話すことはない、そういう意思表示だろう。
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