灰色の世界で、君に恋をする
0.
遠く離れた場所にいた私たちの距離を近づけたのは、季節はずれの1本の桜だった。
道に迷って、私は偶然にそこにたどり着いた。深い山の中に突然現れたエアポケットみたいな不思議な場所。そこに大きな桜の木が立っていた。6月だというのに、その身いっぱいに薄紅色の花びらをつけて、ふわふわと風に揺れていた。夕焼けに染まった初夏の桜は、息を呑むほど綺麗で、幻想的だった。
後から先生や親にこれでもかと怒られたけど、全然気にならなかった。
家に帰って、真っ先にユキに報告した。
『今日ね、私、すごいもの見ちゃったんだ』
『へえ、なに?』
『あのね……』
秘密を打ち明けるみたいに、私は桜の話をした。
『すごいな。こんな時期に咲く桜もあるんだ』
ユキは馬鹿にするでも疑うでもなく、素直に感心してくれた。
そして、私たちは、約束をした。
『いつか大人になったら、その桜を一緒に見よう』
もしかしたらそれは、約束とも言えない、はじめから叶わないとわかっている願い事みたいなものかもしれないけれど。
それでも、よかった。今はまだ、そのときじゃないから。
お互いの顔も居場所も知らない私たちは、その日がいつかくるのを待つことにした。
いつか、大人になったら――。
ねえ、ユキ。
あれから4年が経った今でも、私は考える。あのとき、君は、どんな気持ちでそれを言ったんだろう。
あの言葉の真意は、今でもわからないままだけれど。
でも、少なくともあの頃の私たちには、頭の中で思い描ける未来があった。
高校を卒業したら、20歳になったら、仕事をして自分でお金を稼げるようになったら。その基準は人それぞれだけど、そういうわかりやすい節目がきちんと用意されていた。
だけど、今ではその線引きすら、ほとんど意味のないものになってしまった。
日常なんて、もうとっくに、どこにもない。どんなに望んだって、当たり前にあった日々はもう二度と戻ってはこない。
世界は灰色に染まり、空はもうずっと長いあいだ分厚い雲に覆われている。太陽の光はどこを探しても見つからず、テレビもネットも繋がらない。他の町がどうなっているのかさえ、もうわからない。
ユキからの連絡が途絶えて、もう1ヶ月が経つ。
――ねえ、イノリ。
と、ユキは言った。
『いつか大人になったら、その桜を一緒に見よう』
あの約束、果たせないままなのかな。
私たちが出会うことは、叶わないのかな。
学校の屋上から灰色に染まった街を見下ろして、私は思う。
私たちが大人になるより先に、もしかしたら本当に、世界は終わってしまうのかもしれない。
道に迷って、私は偶然にそこにたどり着いた。深い山の中に突然現れたエアポケットみたいな不思議な場所。そこに大きな桜の木が立っていた。6月だというのに、その身いっぱいに薄紅色の花びらをつけて、ふわふわと風に揺れていた。夕焼けに染まった初夏の桜は、息を呑むほど綺麗で、幻想的だった。
後から先生や親にこれでもかと怒られたけど、全然気にならなかった。
家に帰って、真っ先にユキに報告した。
『今日ね、私、すごいもの見ちゃったんだ』
『へえ、なに?』
『あのね……』
秘密を打ち明けるみたいに、私は桜の話をした。
『すごいな。こんな時期に咲く桜もあるんだ』
ユキは馬鹿にするでも疑うでもなく、素直に感心してくれた。
そして、私たちは、約束をした。
『いつか大人になったら、その桜を一緒に見よう』
もしかしたらそれは、約束とも言えない、はじめから叶わないとわかっている願い事みたいなものかもしれないけれど。
それでも、よかった。今はまだ、そのときじゃないから。
お互いの顔も居場所も知らない私たちは、その日がいつかくるのを待つことにした。
いつか、大人になったら――。
ねえ、ユキ。
あれから4年が経った今でも、私は考える。あのとき、君は、どんな気持ちでそれを言ったんだろう。
あの言葉の真意は、今でもわからないままだけれど。
でも、少なくともあの頃の私たちには、頭の中で思い描ける未来があった。
高校を卒業したら、20歳になったら、仕事をして自分でお金を稼げるようになったら。その基準は人それぞれだけど、そういうわかりやすい節目がきちんと用意されていた。
だけど、今ではその線引きすら、ほとんど意味のないものになってしまった。
日常なんて、もうとっくに、どこにもない。どんなに望んだって、当たり前にあった日々はもう二度と戻ってはこない。
世界は灰色に染まり、空はもうずっと長いあいだ分厚い雲に覆われている。太陽の光はどこを探しても見つからず、テレビもネットも繋がらない。他の町がどうなっているのかさえ、もうわからない。
ユキからの連絡が途絶えて、もう1ヶ月が経つ。
――ねえ、イノリ。
と、ユキは言った。
『いつか大人になったら、その桜を一緒に見よう』
あの約束、果たせないままなのかな。
私たちが出会うことは、叶わないのかな。
学校の屋上から灰色に染まった街を見下ろして、私は思う。
私たちが大人になるより先に、もしかしたら本当に、世界は終わってしまうのかもしれない。
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