あなたの側にいられたら、それだけで

「エリオットと何かあったのかい?」

 向かいのソファに座った医者に尋ねられ、アデルは瞬いた。

「何か、とは?」

 今日は一月に一回の定期検診だ。この時ばかりは医者の希望で、エリオットはもちろん、使用人すらも同じ部屋にいない。最初は難色を示していたエリオットだったが、患者の精神のためだよと医者に言われて渋々従っている。

「ここしばらくふさぎ込んでいるらしいじゃないか」

 ズバリ言い当てられ、アデルは口ごもった。
 確かにあの日以来アデルは思い悩んでいた。
 アデルは意識を取り戻してから、与えられるものをなんの疑問もなく受け入れている自分に気づいた。エリオットが四六時中側にいることに慣れきっていて、まさか彼に恋人がいる可能性など考えてもいなかった。
 どうやら自分には祖父母の遺産とやらがあるようだから慌てて結婚する必要はなさそうだが、それでもどうにかして自立しなくてはならないのではないか、と考え始めていた。
 それはすなわち、エリオットから離れることを意味する。

(でも私は……)

 あの日気づいたのは自分の置かれた状況についてだけではない。いつの間にか抱いていたエリオットへの恋情も自覚したのだった。
 彼の側にいたい、だが離れるべきなのだろうとも思う。そんな相反する想いが苦しくて苦しくてたまらない。
 だがエリオット本人には悟られたくないとも思っていた。決して態度に出したつもりはなかったが、もしかしたら気づかれていたのだろうか。

「そんなつもりはなかったのですが……」
「そんなつもりはないけれど?」

 アデルは頭を働かせ、余計なことは言うまい、と心に決めた。

「ただ――自立したいな、とは思っていました」

 これ以上エリオットに迷惑をかけたくはない。そしてこの返答は意外でもなんでもなかったらしく、医者はあっさり頷いた。

「そうか。まぁあれだけ過保護に囲われていたら窮屈に思っても仕方ないだろうね」
「いえ、窮屈とかではなく……。エリオットには感謝しています。しているのですが……記憶が戻らない以上、祖父母との約束とやらで、何一つ真実も教えてもらえない。このままだと私はずっとエリオットがいないと生きていけない人間になってしまいます」

 医者は腕組みをした。

「そうだね。まぁ確かに……」

 ふうっと彼はため息をついた。

「記憶は、何か大きなトリガーがあれば思い出せることもあれば、何もなくても突然不意に戻ることもある。こればかりは誰にも分からない」
「……ですよね……」
「一番良くないのは、君が考えすぎてしまうこと、気に病むことだ。いいかい、エリオットは君がいてくれればそれだけでいい男だよ。案外彼は今の状況を楽しんでいるかもしれないよ」
「そんなことは。それに、彼は優しいですから……」

 アデルはうつむいた。
医者はそれ以上余計なことは言わなかった。それから彼はアデルの気が楽になるような世間話をたくさんしてくれた。
 ようやくアデルの顔に自然な笑顔が浮かぶようになった。

(ああ、本当に私はこうして周囲の人達に支えられている……)

 エリオットも医者も、使用人たちも。みんなアデルに優しい。
 そのことに彼女は感謝せずにはいられなかった。帰り際、部屋の扉まで見送ると、医者が口を開いた。

「アデル」
「はい」
「不安に思うことがあれば、エリオットに伝えるといいよ。彼はそれに応えてくれるだけの度量がある」
「……」

 医者は微笑んだ。

「彼の、君への献身は本物だと僕は思っているよ」

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