あなたの側にいられたら、それだけで
5
医者の忠告は胸に響いたが、しばらくアデルは苦しみ続けることとなった。エリオットには意識して、以前と同じように接するように心がけた。
エリオットはそんなアデルに気づいているのだろう、彼の視線の端々に気遣いを感じた。変わらず尽くしてくれる彼に、思いの丈を告げたいと何度思ったか分からない。ただしそれをすることで、すべてをぶち壊してしまうかもしれないと思えば、アデルはどうしても言葉にすることはできなかった。
真実を知ることよりも、彼を失いたくはなかった。
(私は、臆病だわ……)
そして一月が経ち、今日はまたエリオットが町に出かける日だ。
「では行ってくる。帰りは遅くならないよ」
「うん、わかったわ。楽しんできて」
アデルがぎこちなく微笑むと、エリオットの瞳にさっと何かの感情が動いた。だがすぐにエリオットは目を逸らし、彼女の部屋を出ていった。
(あの、綺麗な方に会いに行かれるのね……)
エリオットはアデルが意識を取り戻してから、外泊をしたことはないはずだ。いつだって夕方には帰ってくるけれど。
(あの方の香水の香りがまた移っていたら、私……)
アデルは居ても立ってもいられずにその場で立ち上がった。彼女の部屋を出ると、珍しいことに廊下には誰もいなかった。
アデルは衝動に任せて、屋根裏部屋にあがっていった。この部屋にはエリオットには入らないように言いつけられていた。
『ガラクタが多いから、君が怪我をしたらいけない』
そんな風に言われて、今まで素直に従っていたが、こんな日くらいは背きたい気分だった。
部屋は布をかぶった家具や、物がたくさん置かれていたが、片付いていないというほどでもなかった。あたりを見渡して、アデルは不思議な感慨に囚われた。
「なにかしら、とても不思議なことだけれど……」
その全てを、どうしてかアデルは知っている気がした。
「ここは子供のための部屋だったのではないかしら」
棚を開けてみると、中には予想通り子供のおもちゃが並べられていた。
ふと手に取ったのは、木製の馬のおもちゃだった。なめらかな手触りのそれは、しかしとても古ぼけていた。アデルはそれをゆっくり触りながら、息を吐いた。
(どうしてかしら、なんでか……とても)
「懐かしい」
無意識にそう呟くと、馬のおもちゃを棚に戻した。そしてその隣に置いてあったこれまた古ぼけた皮の表紙の冊子を手に取った。
開いてみて、息を呑む。
「……エリオットの字……?」
文字を見ただけでどうしてか彼が脳裏に浮かんだ。
確かに愛する妻へ、と書き出されたそれはエリオットより、という署名で終わっていた。
「エリオットの日記……?」
ふらふらと床に座り込んだアデルは夢中になってページを繰った。
そこには手紙の形式で、エリオットの妻への想いがあますところなく綴られていた。愛する妻、大好きな君、誰よりも大切な貴女。出会ってから自分がどれだけ幸せだったか、どうやって愛を育んだか、語りかける彼の口調が簡単に想像できるくらい、熱烈な愛の告白だった。
かつての妻への想いと思えば、アデルは傷ついてもおかしくないはずだった。だが彼女は今、やっと――思い出していた。
「エリオット……」
すうっとアデルの両の瞳に涙が浮かぶ。
彼女はある一節をそっとなぞった。
『愛する妻、アデルへ』
君の了承を得ないまま、全てを決めてしまったことは申し訳ないと思っている。だが俺には他に選択肢がなかった。君がいない世界など、俺には何の意味もない。アデル。君は俺を許してくれないだろうな――。
「――アデル!」
顔面蒼白のエリオットが屋根裏部屋に飛び込んできた時、アデルは気を失って床に倒れ込んでいた。側にはエリオットの日記が落ちていた。
エリオットはそんなアデルに気づいているのだろう、彼の視線の端々に気遣いを感じた。変わらず尽くしてくれる彼に、思いの丈を告げたいと何度思ったか分からない。ただしそれをすることで、すべてをぶち壊してしまうかもしれないと思えば、アデルはどうしても言葉にすることはできなかった。
真実を知ることよりも、彼を失いたくはなかった。
(私は、臆病だわ……)
そして一月が経ち、今日はまたエリオットが町に出かける日だ。
「では行ってくる。帰りは遅くならないよ」
「うん、わかったわ。楽しんできて」
アデルがぎこちなく微笑むと、エリオットの瞳にさっと何かの感情が動いた。だがすぐにエリオットは目を逸らし、彼女の部屋を出ていった。
(あの、綺麗な方に会いに行かれるのね……)
エリオットはアデルが意識を取り戻してから、外泊をしたことはないはずだ。いつだって夕方には帰ってくるけれど。
(あの方の香水の香りがまた移っていたら、私……)
アデルは居ても立ってもいられずにその場で立ち上がった。彼女の部屋を出ると、珍しいことに廊下には誰もいなかった。
アデルは衝動に任せて、屋根裏部屋にあがっていった。この部屋にはエリオットには入らないように言いつけられていた。
『ガラクタが多いから、君が怪我をしたらいけない』
そんな風に言われて、今まで素直に従っていたが、こんな日くらいは背きたい気分だった。
部屋は布をかぶった家具や、物がたくさん置かれていたが、片付いていないというほどでもなかった。あたりを見渡して、アデルは不思議な感慨に囚われた。
「なにかしら、とても不思議なことだけれど……」
その全てを、どうしてかアデルは知っている気がした。
「ここは子供のための部屋だったのではないかしら」
棚を開けてみると、中には予想通り子供のおもちゃが並べられていた。
ふと手に取ったのは、木製の馬のおもちゃだった。なめらかな手触りのそれは、しかしとても古ぼけていた。アデルはそれをゆっくり触りながら、息を吐いた。
(どうしてかしら、なんでか……とても)
「懐かしい」
無意識にそう呟くと、馬のおもちゃを棚に戻した。そしてその隣に置いてあったこれまた古ぼけた皮の表紙の冊子を手に取った。
開いてみて、息を呑む。
「……エリオットの字……?」
文字を見ただけでどうしてか彼が脳裏に浮かんだ。
確かに愛する妻へ、と書き出されたそれはエリオットより、という署名で終わっていた。
「エリオットの日記……?」
ふらふらと床に座り込んだアデルは夢中になってページを繰った。
そこには手紙の形式で、エリオットの妻への想いがあますところなく綴られていた。愛する妻、大好きな君、誰よりも大切な貴女。出会ってから自分がどれだけ幸せだったか、どうやって愛を育んだか、語りかける彼の口調が簡単に想像できるくらい、熱烈な愛の告白だった。
かつての妻への想いと思えば、アデルは傷ついてもおかしくないはずだった。だが彼女は今、やっと――思い出していた。
「エリオット……」
すうっとアデルの両の瞳に涙が浮かぶ。
彼女はある一節をそっとなぞった。
『愛する妻、アデルへ』
君の了承を得ないまま、全てを決めてしまったことは申し訳ないと思っている。だが俺には他に選択肢がなかった。君がいない世界など、俺には何の意味もない。アデル。君は俺を許してくれないだろうな――。
「――アデル!」
顔面蒼白のエリオットが屋根裏部屋に飛び込んできた時、アデルは気を失って床に倒れ込んでいた。側にはエリオットの日記が落ちていた。