紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「残念だったね」と、昭一郎さんが肩をすくめた。
「いえ、まあ……」
「人の顔色ばかりうかがっているような孫でね。もう少し自分のやりたいことや好きなことを主張してもいいと思うんだが。いわゆる良い子すぎて、ものたりんのだよ」
「でも、わがままな不良になったらなったで心配なんじゃありませんか」
「ははは、それはそれで、たしかに死んでも死にきれんな」
「長生きできますね」
「結局、心配の種は尽きんか。どちらにしろ孝行な孫娘ということだな」
 池の水面に浮かんできた鮮やかな鯉の背中を目で追いながら昭一郎さんが話を変えた。
「なあ、久利生君」
「はい、なんでしょう」
「人の心というものは移ろいやすいものだ。そしてまた世の中というものも時代とともに移り変わる」
「ええ、そうですね」
「だが、人が常に真心を忘れずにいれば、人が大切にしているものは受け継がれていく。それが伝統というかけがえのない財産になるのだ。経営にお金は大事だが、それは真心という土台あってこそ、活きるものだ」
「はい、肝に銘じます」
「君はこれからの人間だ。若いときには誘惑もあれば挫折もある。だが、理想を掲げることを恥と思わないでほしい。それが君の未来であり、その道をともに歩んでくれる人も必ず現れる。それが人の幸せというものだ。その手を決して離すんじゃないぞ」
 そう言って昭一郎さんは俺と向かい合い、握手を求めてきた。
 俺の恩人は、おずおずと差し出した若輩者の手を引っ張るようにつかむと、そこにもう一方の手を重ねてくださった。
 しっかりと握られた手の厚みは今でも覚えている。
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