紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 磨りガラスの向こうでは、ランドリーバスケットにあった使用済みバスタオルを使って玲哉さんが床を拭いていた。
「あの、ごめんなさい。水浸しにしてしまって」
「気にするな。べつにバスタオルで拭けばいいだけだ。俺の下着の替えはいくらでもあるしな」
 磨りガラス越しに会話をしながら、乾いたバスタオルを棚から出した玲哉さんがずぶ濡れの下着を脱いで体を拭き始めた。
 無造作に脇を開いて荒っぽく髪の毛を拭いている姿が、ローマ時代の彫像みたいで神々しい。
 磨りガラスで見えそうで見えないところがつい気になってしまう。
 ――だめ、見たらだめ。
 わたしもあんまり他人のことを非難できないじゃない。
 ひと通り体を拭き終わった彼が磨りガラス越しに声をかけてきた。
「なあ、いいか」
「なんですか?」
「新しいバスタオルを置いておく。ドライヤーもよかったら使ってくれ」
「ありがとうございます」
 彼の姿が見えなくなってから浴室を出てバスタオルで体を拭く。
 ウィンザー様式の英国王室紋章がついた分厚いタオルで、柔らかくて吸水性が抜群だ。
 ドライヤーで髪を乾かしていたら、洗面所のドアがノックされてかすかに開いた。
 隙間からワイシャツの新品パッケージが差し込まれる。
「そこにあったブラウスも濡れただろ。着替えを手配しておいたから、届くまで悪いがとりあえず俺のシャツを着ていてくれ」
「はい、ありがとうございます」
 悪いのは私だし。
 ――あれ?
 手配?
 ネットで注文したってこと?
 そんなに早く着くのかな。
「あの、自分の下着だけ、手洗いしますね」
「ん、そうか。洗剤は洗濯機の上の棚だ。ピンチハンガーもある」
「ありがとうございます」
「もうすぐ朝食の準備もできるから、終わったら来てくれ」
「はい。洗ったらすぐ行きます」
 何ができたか楽しみ。
 そういえば、昨日のお昼から何も食べてないんだっけ。
 素肌に羽織った玲哉さんのワイシャツはだぶだぶで、袖をまくった自分の姿を鏡で見ると、なんだかいかにも二人だけの秘密を共有した仲みたいでドキドキする。
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