紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 涙を拭いていると、洗面所の扉の隙間から玲哉さんが顔をのぞかせてこちらを見ていた。
 もうワイシャツとスラックス姿に着替え終わっている。
「どうした? まだかかりそうか?」
「いえ、終わりました」
 ――そう、終わり。
 一夜だけの夢は終わり。
 泣かないでお別れできる?
 最後くらい、強がりでもいいからちゃんとお別れしなくちゃね。
 私は鏡の中の自分にそう問いかけて両手で頬をはたいた。
 そんな私を玲哉さんが怪訝そうに見ている。
「朝食、冷めるぞ」
「あの、すみません。せっかく用意してもらって申し訳ありませんけど、私、すぐに出ます」
「その格好で?」
 ああ、そうだ。
 着替えが届くまでは外に出るわけにいかないんだ。
 びしょ濡れでもいいから自分の服を着ようかな。
「どうした。さっきは誤解させて悪かった」と、彼が私の手をつかんだ。「率直に謝る。すまなかった。だから気を悪くしないでくれ」
「そういうことじゃないんです」
「じゃあ、なぜ?」
「女物の洗濯に気をつけないといけないって、どうして詳しいんですか?」
「それくらいは学校の家庭科でも習ったし、洗濯機の取扱説明書にも書いてあるだろ。男物の下着は形がシンプルだし、金具とかもないから俺は普段は洗濯ネットは使わないけどもな」
 はぐらかそうとしているようには見えないけど、私は疑念をぶつけてみた。
「間違って洗濯してカノジョさんに怒られたとか?」
 彼は遮るように首を振った。
「そんなのいるわけないだろ」
 なんで断言できるんですか?
 聞きたいけど言葉にはならない。
 そんな私の表情を読み取ったかのように彼がため息交じりにつぶやいた。
「俺は恋愛とか同棲に向かない男だぞ。仕事しか興味のないつまらん男だからな」
 ずいぶん具体的で、的確な分析だ。
「昔、言われたことがあるんですか?」
「悪いか」
 そうつぶやいて視線をそらした玲哉さんの顔が赤く染まる。
「学生時代に散々言われたよ」
 そして、彼は私の手を優しく引いてダイニングテーブルへといざなった。
「とりあえず、食事にしよう。歴史の勉強は今でなくてもいいだろ」
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