紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「昭一郎氏も、なんであんな人を雇ってたんだろうな。子守りをしたいなら保育園でも作れば良かったんだ」
 おじいちゃんの名前が出たことで、私は不意に思い出した。
「昔、おじいちゃんが言ってました。ホテルにはいろんな人が来る。中には好ましくないお客さんもいる。だけど、そういう人を拒むのではなく、お帰りになる時にはまた来たいと思わせられるような接客ができるようでなければいけないって」
「なるほど」と、玲哉さんが背筋を伸ばして薔薇園を見回した。「言いそうな話だ」
 ――あれ?
「祖父を知ってるんですか?」
「いや、なに」と、玲哉さんは少し曇ってきた空へと視線を逃がしながら軽く首を振った。「ホテル経営者の言いそうなことだなっていう意味だ」
 ああ、そういう……。
「よし、次行くぞ」
 玲哉さんがいきなり歩き出す。
「そういえば、真宮グループには介護サービスもあったな。ここ数年は赤字だったが、真宮ブランドのホスピタリティで市場調査の評価はかなり高かった」
 何か使えるかもしれないな、とつぶやきながら私をおいて脇道をどんどん進んでいってしまう。
 もう、妻を忘れないでくださいよ。
 いくら仕事熱心だからって、ちょっと寂しすぎます。
 脚が長いからって大股すぎて、こっちは小走りでもおいてかれる。
 パンプスなのに、全然配慮してくれない。
 靴、買わなくちゃ。
 なんとか追いつくと、隣のショートホールの敷地に温室が何棟か並んでいた。
 意外なことに、こちらはちゃんと整備されているらしく、茜さんがいた案内所の窓よりガラスの壁がきれいだった。
 明るい温室内は鉢が整然と並んでいて、薔薇の苗を栽培しているようだった。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか」
 玲哉さんが声を掛けると、奥の方から軍手をした中年男性が顔を見せた。
「はい、なんでしょう?」
「案内所で聞いてきたんですけど、今井さんですか?」
「はい、そうですよ」
 玲哉さんは自己紹介をして、用件を伝えた。
 今井さんが私に気づいたようだ。
「あ、もしかして、紗弥花お嬢様ですか」
「はい」
 失礼ながら私は存じ上げなかったけど、おじいちゃんと一緒にいた孫だから今井さんは覚えていてくださったようだ。
「いや、どうもこれは失礼。ずいぶん久しぶりで、すっかり大人になられて」
 社交辞令だと分かっていても、外見はともかく、中身はそうでもないから恥ずかしい。
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