紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 私たちはお手洗いを借りて、それから売店にある自販機でペットボトルのドリンクを買うことにした。
 玲哉さんは紅茶、私は緑茶だ。
 お金を持っていない私に玲哉さんが小銭をくださった。
「初めてのお使いか?」
「そんなことはないですよ」
 さすがに私だって自動販売機の使い方ぐらい知っている。
「でも、学生時代以来、久しぶりですけどね」
 テラスまで戻ってウッドデッキに上がる。
 キャップをひねって一口紅茶を飲んだ玲哉さんがたずねた。
「今、どうして緑茶を選んだ?」
「あんまり深い意味はありませんけど。他に飲みたいものがなかったからかな……」
 実際、他は炭酸飲料やスポーツドリンクなどで、甘くない飲み物の選択肢がなかったのだ。
「選ぶときに緊張したか?」
 私は首を振った。
 玲哉さんはもう一口飲んで微笑んだ。
「なぜ緊張しなかったと思う?」
 なんでだろう。
「分かりません」
「まあ、理由はいろいろあるだろうけど、ようするにたいしたことじゃないからだろうな。緑茶は極端にはずれることはないし、仮に失敗しても人生に影響するほどではない」
 当たり前のように聞こえるけど、玲哉さんの口ぶりには何か意味があるようだった。
「緑茶を選ぶときには緊張しないのに、薔薇園を再建するかどうかを決めるときにはどうして緊張するんだと思う?」
「金額とか、責任が重いから、ですか?」
「だが、それが錯覚だとしたら?」
「でも、緑茶と薔薇園では金額が明らかに違いすぎますよ」
「金額は、な」と、玲哉さんは私に考える時間を与えるように紅茶に口をつけた。
 他に何か理由なんてあるんだろうか。
 でも、私は何も思いつかなかった。
 できの悪い生徒でごめんなさい。
「金額っていうのは、ただの数字の大小だ。そこに意味はない。たとえば二三が六というかけ算九九と、二億足す三億という足し算をするときに、どっちが緊張するかなんて考えないだろう」
「それは算数の問題だからじゃないですか」
「百円振り込むのと、百万円振り込むのと、百億円振り込むのは、手数料が違うだけで同じ手続きだ」
 それはそうですけど。
「訓練なんだよ。だれだって、やったことがないことをしなければならないときは緊張する。裁判所に呼ばれるなんて、一般の人なら人生で一度もない人の方が多い。自分が被告でなくても、ほんのちょっとした証言を求められただけで眠れなくなるほど緊張する。だが、俺は何度もあるから緊張なんかしない」
「そういうものですか」
「それに、俺は初めて出廷した時も緊張はしなかった」
「それは玲哉さんが優秀だからじゃないですか?」
「違う」と、声を張った玲哉さんが両手を広げた。「いや、すまん。まただ。つい議論していると高ぶってしまう。自分でも気をつけてるんだが、申し訳ない」
「大丈夫ですよ。分かってますから。それより、どうしてなんですか?」
 今は彼の情熱を吸収したい。
 彼と話をしていると、私の体が熱くなっていく。
 私は答えを知りたかった。
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