紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「常に練習してるからだ」と、彼は声を抑えて続けた。「頭の中で予行練習をする。事前に想定される問答をすべて洗い出し、どう対応するか、事前に準備をしておく。そうすればいざ現場に出ても緊張しなくて済む。そういう練習を常日頃からあらゆる場面で積み上げていくんだ。そうすればどこに出ても緊張しなくなるし、決断も迷わなくなる」
「でも、決めたことが間違いだったら、落ち込みませんか?」
「もちろん、そうなることもある。だが、やはりそれも経験で補えるんだ。自分で選んだ物事というのは、自分で責任を負えばいい。失敗は確かに嫌なことだ。だが、案外あきらめもつくし、自分が努力すれば挽回できる。だが、他人に選択を委ねた場合、その責任は誰も取ってくれない」
 ああ、そうだ。
 ただ押しつけるだけで、その後のことなんか放っておかれるんだ。
「自分が決めたわけじゃないのに、自分一人では解決できないんだよ。だから、いつまでたっても後悔だけが残るんだ」
 ――私だ。
 それって、私そのものだ。
 心の奥の深い海に沈んだ後悔が積もり積もって硬い岩になって私はそこに埋もれた化石なんだ。
 何億年もたって地上に露出して、キメラレナカッタヒトという標本になって博物館に展示されるんだ。
「紗弥花」と、玲哉さんは私の名を呼んで向き合った。「君は今まで、何不自由ない生活で、すべてを与えられてきた。だが、それは自分で決める力を奪われてきたってことなんだ。本当は、小さなことでも一つずつ、失敗したりしながら、自分で決めるべきだったんだ。子供は失敗して学ぶ。駄菓子屋で百円玉を握りしめて、どのお菓子を買うかで何十分も迷うんだ。しかも、本当は飴がほしかったのに、クジに釣られてチョコを買ったらハズレだったなんて馬鹿みたいな経験を積みながら学んでいくんだ」
 私は駄菓子屋さんに行ったことなんかない。
 いつも真宮ホテルの焼き菓子やケーキが用意されていた。
 だけどそれは常に与えられた物だったのだ。
「そういったくだらないことでも、自分が決めたことに責任を持つ練習になるんだ。大人になって、車を買ったり、家を買ったりと、金額は大きくなっていく。そのたびに決断の器が大きくなっていく。結婚だってそうだ。そもそも学生時代の恋愛だってそうだよ。自分が選んだ人と幸せになるつもりが、そうならないこともある。相手が悪いこともあれば、自分が悪いこともあるし、たいていは双方それぞれに言い分がある。良かれと思って選ぶのに、結果はそうならないことも多い」
 南田さんも、最初はそうだったんだろうな。
 だけど、逃げて正解だったんだろう。
 自分と生まれてくる子供を守るために、南田さんはその決断を自分で下したんだ。
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