紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「人間は不完全だし、判断材料が足りない場合もある。下した決断は間違いの方が多いかもしれない」
 だが、と玲哉さんは言葉を継いだ。
「その一つ一つの決断がその人を作るんだ」
 じゃあ、今まで何一つ決めてこなかった私は……。
 じっと私の目を見つめる玲哉さんの口から、ぽろりと言葉がこぼれ落ちた。
「人として扱われていなかったってことさ」
 すうっと血の気が引いていく。
 とっさに玲哉さんが私の両肩を支えてくれる。
「紗弥花、しっかりしろ。ここで崩れ落ちたら負けだ」
 私は膝に手を当ててなんとか自分を支えきった。
 気持ちの悪い汗がにじみ出て額から流れ落ちる。
 そんな私を玲哉さんの言葉が優しく励ましてくれる。
「気づいたときから始めればいい。最初は怖いことだらけだ。不安に押しつぶされそうになる。だけど、大丈夫だ。俺がついてるんだからな」
 ――そうだ。
 私は一人じゃない。
 私が選んだ人が支えてくれている。
 何一つ決められなかった私が初めて自分で決めた人。
 玲哉さんが固い岩盤の中から私を発掘してくれたんだ。
 ――ありがとう。
 涙がこぼれそうになる。
 だけど、泣いちゃだめ。
 絶対に泣いちゃだめ。
 泣いたって何も解決しない。
 ぎゅっと目をつむっていたって何も変わらない。
 ちゃんと見るの。
 目をそらさないの。
 目の前で起きている現実を受け止める。
 やるべきなのは、決断だ。
 自分自身で責任を背負うこと。
 この茶色い薔薇園に花を咲かせてみせる。
 私が決めれば、その瞬間、世界が変わり始めるんだ。
「玲哉さん」
「ん?」と、私の大事な旦那様が私の目をのぞき込む。
「私、やります。なんとしてでもこの薔薇園を建て直してみせます」
「怖くないのか」と、玲哉さんが微笑む。
「怖いです。ほら」と、私は両手を差し出した。
 その震える手を玲哉さんが握ってくれる。
「震えるくらい怖いのに、でも、なんだかすごく楽しいんです。こんな気持ち初めてです」
 ポツリと雨が落ちてきた。
 いつの間にか空はどんよりとした雲に覆われて、少し風も出てきていた。
 私たちは手を握り合って、狭い薔薇の通路を子供の手を引く親子のように歩き始めた。
 ――柔らかい。
 優しさの伝わる手に引かれながら、茨のトンネルを抜ける。
 もう道に迷うことはない。
 たとえ遠回りだったとしても、自分が決めたなら、それはただの寄り道なんだから。
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