紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 私が黙っていると久利生さんは、短くため息をついて肩をすくめた。
「残念ながらお嬢さんの夢物語に付き合っている暇はありません。お花畑を散歩したかったら、そこらへんの公園でどうぞ」
 ――なっ……。
 冷徹な経営コンサルタントがクイッと顎を上げて私を見下していた。
「今この場にいる人間を説得できないのに、顧客である一般大衆に良さを分かってもらえるわけがありませんよ。つまり……」と、いったん言葉を切って彼は口をゆがめた。「それでは金にならない」
 そして、皆の視線を集めてからはっきりとした口調で続けた。
「金にならないものに価値などない。それが経営というものです」
 死刑宣告のようにこの場にいる全員が黙り込んだ。
 父も母も目を伏せて何も言わない。
 ――どうして。
 どうして、いつも、私の上を通り越してすべてが決まってしまうの?
 私はうつむいて涙をこらえるのが精一杯だった。
「紗弥花さん」と、私を呼ぶ声がした。
 顔を上げると和樹さんが机の上で手をもみ合わせながら私に視線を向けていた。
「薔薇園は残念ですが、うちが出資すれば真宮ホテルは残りますから。それに……」と、彼はゆるんだ笑みを浮かべた。「結婚したら、紗弥花さんには家庭に入ってもらって、何不自由のない暮らしをしてもらいますから、経営なんか心配しなくても大丈夫ですよ」
 ――え?
 結婚?
 聞き間違いかと両親の方を見ると、母は静かに笑みを浮かべているだけだった。
 ――どういうことなの?
 私の視線に気づいているはずなのに、こちらを向こうともしない。
「今お話のあった二つ目の条件について、ご説明申し上げます」
 久利生さんが私に体を向けた。
「和樹さんと紗弥花さんが夫婦となることで、両家の関係を揺るぎないものとし、それに基づいて増資を実行する。これがもう一つの契約事項となります」
 契約って……。
 私の気持ちは?
 私の人生は何なの?
 心が渦を巻くばかりで言葉にならない。
 いつもそうだ。
 いつもそうだった。
 言いたいことはいつも渦に飲み込まれていく。
 だけど、それは消えるわけではない。
 心の奥の深い海にゆらゆらと後悔が堆積して岩のように固まるのだ。
 忘れたことはない。
 あのときはああ言いたかった、こう言えばよかった。
 でも、何一つ言えたことはなかった。
 口答えをするな。
 私は常に親の言いなりになる良い子で居続けなければならなかったのだ。
< 6 / 118 >

この作品をシェア

pagetop