紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど

   ◇

「まあ、何ですか、その格好」
 母は私の服装を上から下まで眺めて顔をしかめた。
「ごめんなさい。着替えがなかったので」
 私はハンドバッグをぎゅっと抱きかかえた。
 いつもそうだ。
 母と話す時はいつも何かをつかんでいないと不安で仕方がない。
「なんてみすぼらしいの」と、母は私を鼻で笑った。「和樹さんには何も伝えていませんからね。何もなかったことにしなさい」
 私の気持ちなど言ってはいけない。
 母の言葉が私の気持ち。
 私は母の言葉をなぞるだけ。
 それが正しい選択。
「はい。何もありませんでした」
「そう、それでいいのです」
 満足そうにうなずくと、母は玲哉さんに詰め寄った。
「とんでもないことをしてくれたものね」
 彼は何も言わない。
「あなたのしたことは顧客の利益に反する背任行為ですよ。真宮ホテルの莫大な価値を毀損して、補償できるのですか」
 男はただ観念したように目を閉じてうつむいている。
 ――そうよね。
『自分を大事にするのは自分だ』
 あなたはそう言ってたものね。
 私を励ましてくれていた言葉が、すべて反対の意味になって突き刺さる。
 あなたはただ自分を守りたいだけ。
 さようなら、玲哉さん。
 また母が腰に手を当てながら私に怒鳴った。
「財団も無断欠勤したそうね。社会人としての責任を自覚したらどうなの」
 すると、そこに男が割って入った。
「社会人としての人権を奪っておいて、その発言は容認できませんね」
「なんですって」と、母は語気を緩めず男と向かい合う。
「スマホなどの連絡手段も持たせず、現金もない。常識的な社会人の扱いではありませんよ」
「クレジットカードを持たせていますよ」
「親名義の家族会員ではありませんか。財団職員であれば、給与が支払われているはずです。しかし、紗弥花さんはそれを自分で管理させてもらっていません。これは財産権や自己決定権の侵害でしょう」
「法で揺さぶろうとしても無駄ですよ。真宮ホテルを汚そうとする害虫は徹底的に潰しますからね」
 母は落ち着き払って彼と向き合っていた。
「あなただって何も知らないうちの娘に暴行して精神的に支配したんでしょう。それは優位な立場を利用した洗脳ですよ」
 ――洗脳?
 やっぱり、私、この男にだまされていたの?
 何も知らないまっさらな私を手玉にとってニヤついていただけなのね。
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