紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど

   ◇

 エレベーターで東新館の最上階へ上がる。
 スイートルームだけで構成されたフロアは静まりかえっていた。
 ラグビーで鍛え上げられた宮村さんの背中について歩く。
 刑務所の独房に送られる囚人のような気分だ。
 廊下の吸音カーペットにはアールヌーボー調の蔓草文様が織り込まれていて、小さい頃の私はこれをたどって歩くのが好きだった。
 ――あれ?
 ところどころに薔薇の花が織り込まれている。
 小さい頃は気がつかなかったな。
「宮村さん」
「はい、なんでしょうか」
「この床の素材は昔から変わりませんか」
「いえ、先代の昭一郎氏が引退する前に交換しております。以前の物と同じメーカーの製品ですが、デザインは昭一郎氏の意向を採り入れた当ホテルだけのオリジナルと聞いております」
 そうなんだ。
 こんなところにまでおじいちゃんの想いがこめられているんだ。
 そんな大事な真宮ホテルを私は潰してしまおうとしていたんだ。
 ごめんなさい。
 私は悪い娘でした。
 これからはちゃんと言われたことに従います。
 だから、許してください。
 インペリアルスイートの前で宮村さんが立ち止まる。
「よろしいですか」と、太い指でインターホンのボタンを押した。
 少ししてドアが開く。
 赤ら顔の和樹さんが顔を出した。
 ワイシャツにゆるんだネクタイ姿で、ジャケットを脱いでくつろいでいたらしい。
「ああ、紗弥花さん、どうしていたんですか。さあ、どうぞ」
「お待たせして申し訳ありませんでした」
 私が中に入ると、ドアを押さえてくれていた宮村さんが頭を下げる。
「では、わたくしはこれで」
「ああ、ご苦労さん」
 和樹さんが慌ただしくドアレバーを引き、後ろ手で鍵を掛けた。
 私は誘われるままに、部屋の奥へと進んだ。
 真正面の窓には東京タワーの脚が広がり、見下ろせば真宮ホテルの庭園が一望できる。
「何か飲みますか?」
 ソファセットのテーブルにはウィスキーの半分入ったグラスが置かれていた。
「いえ、結構です」
「遠慮しないで。二人の門出にシャンパンでも開けましょうか」
「いえ、まだ昼間ですし、私はお酒が飲めませんから」
「いいじゃないですか。どうせここには二人しかいないんだし。ずっとあなたを待っていたんだから」
 お酒臭い息がかかるほど和樹さんが顔を近づけてくる。
 私は思わず後ずさった。
 全身が粟立つ。
 毛虫が這い上がってくるような嫌悪感で体が震え出す。
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