紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「まあ、そんなに固くなることないさ。ほら、バッグなんか邪魔だろ」
 ――やめて!
 手を出そうとする男を払いのけて私は立ち上がった。
「私はもう、和樹さんの思っているような、清らかなお嬢さんじゃありません」
 酒臭い息を吐きながら男が飛び上がる。
「なっ……。なんだって」
「私は昨日、久利生玲哉さんのマンションへ行って、朝まで彼と二人きりでした」
「まさか! あいつと!?」と、男が両腕で私の肩をがっちりとつかんだ。「ちきしょう。裏切りやがって!」
「痛いです。放してください」
「言えよ。あいつに何をされたんだ!」
「私と玲哉さんは婚姻届に署名をして夫婦になりました。ですから、私はもうあなたと結婚することはできません。言うことを聞かせられる操り人形をお望みでしたら、他をあたってください」
「嘘だ!」
 血走った目で男が私をにらみつける。
 嘘じゃない。
 嘘なんかじゃない。
 私の大事な人、私が愛している人は玲哉さんなんだもの。
「お願いです。手を放してください」
「そんなこと言っていいのか」
 男は手を放すどころか、ますます力を込めて私をベッドルームへ連れ込もうとする。
「僕を拒絶したら、出資の話はご破算になって、真宮ホテルは倒産だ。君も、ご両親も無一文に転落するんだ。それでもいいのか」
 男の言葉が呪文のように私の抵抗力を奪う。
 ――ああ……。
 やっぱりだめだ。
 口答えなんかしちゃだめ。
 言うことを聞かなくちゃ。
 私の自己主張のせいでみんなが迷惑するんだ。
 だめ。
 おとなしく従いなさい。
 抵抗していた力が抜けていく。
 酒臭い息から顔を背けるのが精一杯だった。
 下品な笑みを浮かべた男が私をベッドルームに押し込み、そのまま力ずくで倒される。
「あのコンサルタントにやらせたんだったら、僕にもやらせろよ。いいだろ」
 ――嫌!
 なのに、声が、どうしても声が出てこない。
 かろうじて口づけを拒んだものの、男の手に顔を押さえつけられてしまう。
 このまま私はこんな男の言いなりにならなくちゃいけないの?
 口答えをしない良い娘として、こんな男の好きなように生け贄にされるの?
 それが正しい答えなの?
 答えて!
 誰か答えてよ!
 いつだって答えだけ押しつけて、誰も責任を取ってくれないくせに。
 私はまた自分の言葉を苦い薬として飲み込まされるんだ。
 だけど、嫌!
 こんな男に真宮ホテルに関わってほしくない。
 こんな人に出資なんかしてもらって続いたって、そんなのもう、みんなが大事にしてきた真宮ホテルなんかじゃなくなっちゃう。
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