紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 再度顔を近づけようとした男のネクタイが垂れ下がって指に絡む。
「ちきしょう、邪魔だな」
 体を起こした酔っ払いはネクタイの結び目に指を入れ、一気に引き抜いて投げ捨てた。
 と、その瞬間、別の男の顔が思い浮かんだ。
 ――助けて、玲哉さん!
 私の一番大切な人。
 自由になりたい私を受け入れて、そんな私のすべてを受け止めてくれて、私の苦しみも悲しみも寂しさも孤独も全部まるごと抱きしめてくれた人。
 何も知らない私をいたわってくれて、気遣いや思いやりで私のつらさをやわらげてくれた人。
 あれはもてあそばれたんじゃない。
 こんな卑劣な暴力なんかじゃなくて、洗脳でも支配でもない。
 私は自ら求めて彼を抱きしめていたんだ。
 私は愛を感じていたんだ。
 愛を抱きしめていたんだ。
 私を愛してくれた人。
 それは紛れもなくあの人だった。
 ――玲哉さん。
 どうしたらいいの?
 私の目から涙がこぼれ落ちる。
 お願い、玲哉さん、教えて。
 私を導いて……。
 そのときだった。
 ――声が、聞こえた。
『自分を大事にするのは自分だ』
 さっきは突き刺さった言葉が、今は私の盾となって守ってくれる。
 そうだ。
 自分が力を振り絞って抵抗しなくちゃいけないんだ。
 自分を守るのは自分。
 今はなりふりなんて構ってはいられない。
 とにかく声を出すの。
 叫んで!
 自分の意思を示すの。
 嫌だっていう気持ちを相手にぶつけなくちゃ。
 でも、なのに……。
 声がかすれて出てこない。
 叫ぼうとするのに体が震えるばかりで喉が詰まってしまう。
 しゃっくりのような音しか出てこない。
 男が私にのしかかってくる。
 いやです!
 やめてください!
 なんで……。
 どうして言えないの?
 どうして、声も出せないの、私……。
「うるさい! 黙れ!」
 目をつり上げた男が拳を振り上げていた。
 ――やめて!
 ぶたれる!
 私はぎゅっと目をつむった。
 固く閉じたまぶたから涙がこぼれ落ちた。
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