紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 でも、やっぱり母は父から万年筆を受け取ろうとしなかった。
「私は嫌ですよ。こんなの認めませんからね」
 署名を拒む母を父が諭した。
「もういいじゃないか」
「よくありませんよ。出資してもらわないと、会社はもたないんですから」
 ため息交じりに父が首を振る。
「実は、一橋家の会長には、白紙にしてくれるようにさっき私が詫びを入れてきた」
「なんですって!」と、母が腰を浮かさんばかりに責める。「まあ、あなた、なんてことを。私に相談もなく」
「いくら会社のためとはいえ、紗弥花が望まないのなら、父としては無理にすすめるわけにはいかないだろう」
「お待たせいたしました」
 母が何か言いかけたところで、宮村さんがコーヒーをみんなに配った。
 相変わらずミルクたっぷりの玲哉さんに高梨さんが冷笑を浮かべている。
 コーヒーを一口味わったところで、父が話を続けた。
「契約を白紙にしてもらおうと頭を下げたら、向こうはそんな話は知らないと言うんだ。どうも和樹君が紗弥花を手に入れたくて独断で契約を結んだらしい。経営の決定権は代表者である社長の和樹君にあるとはいえ、向こうの実質的な代表者は会長であるお父さんだ。そのお父さんが結婚はともかく出資などできないと言うのだから、前提も何も、この話は最初から成立していないということだよ」
 母は頭を抱えてため息をついた。
「まあ、そんな……。なんてことなの」
「久利生くん」と、父は玲哉さんに向かって頭を下げた。「こんな事態になって非常にお恥ずかしいことだが、娘をよろしく頼む。それと会社のことも、あわせてお願いしたい。出資者を見つけてもらえないだろうか」
「ちょっと、あなた、何を言ってるんです。私は許しませんよ」
 そして母は私と玲哉さんをにらみつけた。
「どうやって娘をだましたのか知りませんけど、昨日会ったばかりで、もう結婚なんて、そんな話、通用すると思ってるんですか」
「お言葉ですが」と、玲哉さんはあくまでも冷静に答えた。「私は紗弥花さんを愛していますし、紗弥花さんのために、真宮ホテルや薔薇園を再建したいと思っています」
「ですから、口では何とでも言えるでしょう。あなたはただ単に会社を乗っ取る手段としてうちの娘を利用しようとしているだけじゃないの」
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