紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「でも、今こうなってるってことは、告白したんですよね」
高梨さんがまるでインタビュアーのように前のめりになってたずねると、父は照れながらうなずいた。
「まあ、そうなんだが、それほど単純ではなくてね」
母はうつむいたきり何も言わなかった。
「この人だって思ったんだよ。自分はこの人と出会うために生きてきたんだって、話をしたこともなかったのに、そうだって分かったんだよ。だけど、優柔不断な性格が災いしてね。それからも何度か真宮ホテルに来た雪乃の姿を見かけても私は話しかけることができなかった。一社員に過ぎない男が急に交際を申し込むなんて失礼なことだと思っていたし、もちろん、断られるのが怖かった。だから私は思いきって社長室に直談判に行ったんだ。雪乃さんと交際させてくださいと」
「本人じゃなくて、社長さん、つまりお義父さんに会いに行ったんですか」
「おかしなものだよ。入社三年目の平社員のくせに、社長に会いに行く度胸はあっても告白する勇気はなかったんだからな」
自虐的な笑みを浮かべつつ、父は宮村さんにコーヒーのおかわりを頼んだ。
「そしたら、お義父さんはね、落ち着き払ってこう言ったんだ。『それは言う相手が違うんじゃないかね』と。だけどね、『だが、君を応援してやろう。娘をここに呼ぶからあとは若い二人で決めればいい』と、言ってくださったんだよ。『取引はフェアでなければならない』とね」
あれ、なんか聞いたことあるセリフ。
なんとなく玲哉さんの方を見たけど、ミルクたっぷりコーヒーに口をつけて父の話に聞き入っているだけだった。
「で、うまくいったわけですよね」と、高梨さんが先をうながした。
「ああ」と、宮村さんからコーヒーを受け取りながら父がうなずいた。「意外なほどあっさりとね」
今度は母が顔を隠すようにカップに口をつけていた。
「一度始まってみれば、最初からお義父さん公認だったから、ずいぶん健全な交際だったものだよ。真宮ホテルで待ち合わせて庭園で話したり、同僚からは接客研修じゃないかって笑われたものさ」
テーブルの上にカップを戻すと、母はピントの合わない視線をさまよわせながらぽつりとつぶやいた。
「真面目だけが取り柄の人でしたからね、あなたは」
「優柔不断な男の唯一の決断がそれだった。私は今でも後悔なんかしてないよ」
だが、と父は寂しそうに言葉を継いだ。
「社長になったのは完全に間違いだったよ。元々私は社長なんて地位にはまったく興味がなかった。私はただ雪乃のことを愛したからこそ、結婚したんだよ。だが、何をやってもまわりからは財産目当ての婿養子としか見られなくてね。社長の娘と結婚するというのはどうしたってそういうことになるからな。若いときから経営陣の一人としてお義父さんの下について事業継承の修行を続けてきたんだが、実際、私には経営の才能なんてなかったんだよ。伝統を維持していくのが精一杯で、真宮ホテルのこれからの姿を示すビジョンなんて、私には何も思いつかないんだ。現状を維持するだけでも、変えようとしても、どちらにしろそんなのは真宮ホテルじゃないと批判される。背負うものが重すぎたんだよ」
高梨さんがまるでインタビュアーのように前のめりになってたずねると、父は照れながらうなずいた。
「まあ、そうなんだが、それほど単純ではなくてね」
母はうつむいたきり何も言わなかった。
「この人だって思ったんだよ。自分はこの人と出会うために生きてきたんだって、話をしたこともなかったのに、そうだって分かったんだよ。だけど、優柔不断な性格が災いしてね。それからも何度か真宮ホテルに来た雪乃の姿を見かけても私は話しかけることができなかった。一社員に過ぎない男が急に交際を申し込むなんて失礼なことだと思っていたし、もちろん、断られるのが怖かった。だから私は思いきって社長室に直談判に行ったんだ。雪乃さんと交際させてくださいと」
「本人じゃなくて、社長さん、つまりお義父さんに会いに行ったんですか」
「おかしなものだよ。入社三年目の平社員のくせに、社長に会いに行く度胸はあっても告白する勇気はなかったんだからな」
自虐的な笑みを浮かべつつ、父は宮村さんにコーヒーのおかわりを頼んだ。
「そしたら、お義父さんはね、落ち着き払ってこう言ったんだ。『それは言う相手が違うんじゃないかね』と。だけどね、『だが、君を応援してやろう。娘をここに呼ぶからあとは若い二人で決めればいい』と、言ってくださったんだよ。『取引はフェアでなければならない』とね」
あれ、なんか聞いたことあるセリフ。
なんとなく玲哉さんの方を見たけど、ミルクたっぷりコーヒーに口をつけて父の話に聞き入っているだけだった。
「で、うまくいったわけですよね」と、高梨さんが先をうながした。
「ああ」と、宮村さんからコーヒーを受け取りながら父がうなずいた。「意外なほどあっさりとね」
今度は母が顔を隠すようにカップに口をつけていた。
「一度始まってみれば、最初からお義父さん公認だったから、ずいぶん健全な交際だったものだよ。真宮ホテルで待ち合わせて庭園で話したり、同僚からは接客研修じゃないかって笑われたものさ」
テーブルの上にカップを戻すと、母はピントの合わない視線をさまよわせながらぽつりとつぶやいた。
「真面目だけが取り柄の人でしたからね、あなたは」
「優柔不断な男の唯一の決断がそれだった。私は今でも後悔なんかしてないよ」
だが、と父は寂しそうに言葉を継いだ。
「社長になったのは完全に間違いだったよ。元々私は社長なんて地位にはまったく興味がなかった。私はただ雪乃のことを愛したからこそ、結婚したんだよ。だが、何をやってもまわりからは財産目当ての婿養子としか見られなくてね。社長の娘と結婚するというのはどうしたってそういうことになるからな。若いときから経営陣の一人としてお義父さんの下について事業継承の修行を続けてきたんだが、実際、私には経営の才能なんてなかったんだよ。伝統を維持していくのが精一杯で、真宮ホテルのこれからの姿を示すビジョンなんて、私には何も思いつかないんだ。現状を維持するだけでも、変えようとしても、どちらにしろそんなのは真宮ホテルじゃないと批判される。背負うものが重すぎたんだよ」