紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
前のめりの姿勢だった高梨さんがため息をつきながらソファに体を預ける。
玲哉さんも顎を手でさすりながら曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。
――そう。
やっぱり母は変わらない。
これまでもそうだったんだし、期待するだけ無駄なんだろう。
私の中では、むしろその方が母らしいという諦めの気持ちが渦を巻いていた。
母の境遇には私と共通するところもある。
だけど、だからといって私だっていきなり素直に和解することなどできなかった。
母が急に立ち上がった。
「宮村」
「はい」
「帰ります。車を用意しなさい」
「かしこまりました」
そのまま何も言わずに母は宮村さんをともなって出て行った。
沈黙に覆われたインペリアルスイートの窓に目をやると、打ちつける雨の向こうに煙った東京タワーがかすかに見えた。
ソファから体を起こした父が膝に手を置いて玲哉さんに頭を下げる。
「すまないね。雪乃もいろいろなことが一度に起きて混乱しているんだよ。なんとか説得してみるから、あらためて紗弥花と会社のことを頼むよ」
「いえ、証人になっていただけただけでも感謝しております。出資者選定についてもお任せください」
高梨さんが空欄の残った婚姻届を取り上げた。
「結局、あと一人証人を探さないといけませんね」
「高梨さん、せっかくですから証人になっていただけませんか」
私がお願いすると、渋い表情が返ってきた。
「この人の保証人ですか」と、玲哉さんを指さす。「仕事ができるのは認めますけど、紗弥花さんを幸せにできるかどうかは不安なんですけど」
ひどい言われようなのに玲哉さんは苦笑を浮かべたまま反論しない。
何か心当たりあるんですか?
私の送った視線に気づいて、慌てた顔で手と首を振る。
「まあ、いいですよ」と、高梨さんがペンを取り出した。「アフタヌーンティーをおごってもらえたし、貸しを作っておくのも悪くないんで」
さらさらと空欄が埋まって、今度こそ婚姻届が完成した。
「ありがとうございます」
高梨さんから受け取った書類は紙一枚なのに、とても重く感じられた。
「じゃあ、これから提出に行くか」
玲哉さんが立ち上がると、まわりも続いて安堵したように背を伸ばした。
「はい。でも、その前に」と、立った勢いのまま私は玲哉さんの腕に絡みついた。
「ん、なんだ?」
「下にあるホテルのブランドショップでパジャマを買っていきましょうよ。裸で寝てたら風邪を引いちゃいますし、おそろいのパジャマで寝るのって憧れじゃないですか」
「お、おう……」と、玲哉さんが顔を赤らめる。「そ、そうだな」
父も咳払いをして窓に視線を向けている。
高梨さんがクスクスと笑いながら部屋を出て行く。
「紗弥花さん、新婚早々ごちそうさまでした。おなかいっぱいです。お幸せに!」
――え?
あっ!
ばつが悪そうに鼻の頭をかく玲哉さんから、私は慌てて飛び退いた。
「ほら、お義父さんも困ってらっしゃるじゃないか」
「いやいや、いいんだ。相性もいいみたいだし、娘が幸せなら、父としてはこれ以上うれしいことはないんだよ」
父も顔を赤らめながらくるりと背中を向けて逃げるように部屋を出て行く。
「あ、あの、お父さん、そういう意味じゃなくて」
じゃあ、どういう意味だと言われると困るけど、とにかく、ただおそろいのパジャマを着てみたかっただけなのに。
玲哉さんも顎を手でさすりながら曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。
――そう。
やっぱり母は変わらない。
これまでもそうだったんだし、期待するだけ無駄なんだろう。
私の中では、むしろその方が母らしいという諦めの気持ちが渦を巻いていた。
母の境遇には私と共通するところもある。
だけど、だからといって私だっていきなり素直に和解することなどできなかった。
母が急に立ち上がった。
「宮村」
「はい」
「帰ります。車を用意しなさい」
「かしこまりました」
そのまま何も言わずに母は宮村さんをともなって出て行った。
沈黙に覆われたインペリアルスイートの窓に目をやると、打ちつける雨の向こうに煙った東京タワーがかすかに見えた。
ソファから体を起こした父が膝に手を置いて玲哉さんに頭を下げる。
「すまないね。雪乃もいろいろなことが一度に起きて混乱しているんだよ。なんとか説得してみるから、あらためて紗弥花と会社のことを頼むよ」
「いえ、証人になっていただけただけでも感謝しております。出資者選定についてもお任せください」
高梨さんが空欄の残った婚姻届を取り上げた。
「結局、あと一人証人を探さないといけませんね」
「高梨さん、せっかくですから証人になっていただけませんか」
私がお願いすると、渋い表情が返ってきた。
「この人の保証人ですか」と、玲哉さんを指さす。「仕事ができるのは認めますけど、紗弥花さんを幸せにできるかどうかは不安なんですけど」
ひどい言われようなのに玲哉さんは苦笑を浮かべたまま反論しない。
何か心当たりあるんですか?
私の送った視線に気づいて、慌てた顔で手と首を振る。
「まあ、いいですよ」と、高梨さんがペンを取り出した。「アフタヌーンティーをおごってもらえたし、貸しを作っておくのも悪くないんで」
さらさらと空欄が埋まって、今度こそ婚姻届が完成した。
「ありがとうございます」
高梨さんから受け取った書類は紙一枚なのに、とても重く感じられた。
「じゃあ、これから提出に行くか」
玲哉さんが立ち上がると、まわりも続いて安堵したように背を伸ばした。
「はい。でも、その前に」と、立った勢いのまま私は玲哉さんの腕に絡みついた。
「ん、なんだ?」
「下にあるホテルのブランドショップでパジャマを買っていきましょうよ。裸で寝てたら風邪を引いちゃいますし、おそろいのパジャマで寝るのって憧れじゃないですか」
「お、おう……」と、玲哉さんが顔を赤らめる。「そ、そうだな」
父も咳払いをして窓に視線を向けている。
高梨さんがクスクスと笑いながら部屋を出て行く。
「紗弥花さん、新婚早々ごちそうさまでした。おなかいっぱいです。お幸せに!」
――え?
あっ!
ばつが悪そうに鼻の頭をかく玲哉さんから、私は慌てて飛び退いた。
「ほら、お義父さんも困ってらっしゃるじゃないか」
「いやいや、いいんだ。相性もいいみたいだし、娘が幸せなら、父としてはこれ以上うれしいことはないんだよ」
父も顔を赤らめながらくるりと背中を向けて逃げるように部屋を出て行く。
「あ、あの、お父さん、そういう意味じゃなくて」
じゃあ、どういう意味だと言われると困るけど、とにかく、ただおそろいのパジャマを着てみたかっただけなのに。