紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
「でも……」
 息が苦しくなるほどのキスの後に、なんとなく気になったことを聞いてみた。
「ずいぶんと実感のこもった話でしたけど、前に嫌な経験でもあったんですか?」
「ん」と、一瞬困惑した表情を浮かべた玲哉さんが首を振る。「ああ、もしかして勘違いしてるのか。女性関係じゃないぞ。事実はもっと冴えなくてさ」
 真相は、留学時の寄宿舎の話だった。
「奨学金をもらって留学してる身分だから、贅沢は言えなくてな。安い寄宿舎に入るしかなかったんだよ。日本と違って国籍とか文化とかが多様で、まさかと思うような食い違いばかりで、正直、途中で帰国したくなったくらいでね」
 たたんでおいたタオルを勝手に使われるとかは全然ましな方で、トイレの水を流さないとか、部屋の中でつばを吐くとか、夜中に音楽を流すとか、ちょっと考えられないようなことが当たり前だったらしい。
 相当なトラウマなのか、渋い表情で、自分の身を守るみたいに固く腕組みをしながら話していて、聞いたこちらが申し訳なくなるほどだった。
 ――私も気づかないで、何かやらかしたりしないかな。
「そんなに深刻に考えないでくれよ。常識的な程度の問題だからな」
 だといいんですけど。
「心配するなよ。一緒に寝てて、いびきとか歯ぎしりはなかったからさ」
 ちょっ……。
 え、ホント?
 私、大丈夫ですよね。
 なんか、かえって心配になっちゃう。
 変な寝言とか言っちゃってたらどうしよう。
 玲哉さんはそんな私の気持ちに気づいていないのか、お皿洗いに取りかかってしまう。
「やってる間、先にシャワー浴びてきたらいいんじゃないか」
 なにげないそんな言葉も、新婚夫婦だと、意味ありげに聞こえてしまう。
「あ」と、玲哉さんが苦笑いを浮かべた。「いや、まあほら、おそろいのパジャマ着るの楽しみにしてただろ」
「あ、そうだった」
 じゃあ、お先に行ってきまぁす。
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